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心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(徒然草)
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 こんばんは。紫遠です。


今日は久々に1日だらだらしてもう幸せーって感じでした。

この1日でリフレッシュした分、明日からはまた改めて、はりきっていかなきゃですけどね。




さてさて。

週5,6のペースで1日8時間勤務とかしていたバイトですが、
今日、辞めてきました。

いやーまあどう考えたって上記のペースじゃ就活にもゼミにも差し支えるからさ。
かといってシフトを変に減らすといろいろ言われそうだし、
ならばいっそ辞めてしまえ!というわけで、本日退職しました。

週1のゼミで何が差し支えだよと思うかもしれませんが、
この間の英論、バイトの休憩中にスタッフルームで電子辞書片手にやってたんですよ私。
朝早くから夕方までバイトして、疲れて帰ってきても絶対集中出来ませんしね。


とりあえず就活と夏休みの四国行きを理由に辞めたので、
つまりはそれさえ終わればバイトが出来るってことになるわけで、
店長には「遅くても9月には戻ってきてください」と言われました。が、がんばります・・・



就活もなんだかんだでまだ一次面接さえ通らない状況ですから、
もう本当、「就活やらなきゃー」なんてのほほんと構えてる場合じゃなくなってきました。

自分のどこがダメなのか、どうすれば向上するのか、ひたすら考えていこうと思います。

というわけで来週さっそく2社の会社説明会のため茨城に行ってきま。
しばし滞在して、ハロワにも足を運ぼうと思ってます。





私の就活に関する悩みをちょっとだけぶちまけると。


結局、私は「自分は何がしたいのか」「何ができるのか」が見えてないんです。
自己分析が全然足りてないんですよね。

ただ茨城で働きたいから!って言ったところで企業は認めてくれないし。
茨城茨城ってぶっちゃけ福島のほうが近いじゃんって面接で鼻で笑われましたし。

何がしたくて何ができて、それがどこの企業で生かせるのか。
ただただ内定欲しさに就活してると、もうそれが全然わからなくなって。

面接受けても履歴書書いても、必ず志望動機で止まる。

なんでこの企業を受けるのか、この企業じゃないとダメなのかがわからなくて。

自分に自信が無いせいで、とにかく迷う。
私に何ができる?したいこととできることが結びつかない。
そもそもできることが無いんじゃない?

私にはこれがしたくてこれが出来て、それを活かせるのは御社しかない!って、
そんなテンプレにさえ当てはめることができなくて。

もう、どうすりゃいいの、と。





あと、私は勤務地を限定してるのもあって中小企業メインな就活してたので、
端から中小狙いならすぐ内定出るだろとか甘く見てたってのも正直あるかと思います。

けど、中小企業ってそういった企業なりに選考が厳しかったりします。

大企業って、毎年人も出て行くし会社規模も広がるからとにかく人手が欲しいって、
それはもうすごい人数採用するじゃないですか。

けど、中小企業って敢えて小規模のままにしてるところも多いんですよ。
だから人も出て行かないし規模も変わらない。
現時点で会社が何の問題もなく動いている以上、採用してもしなくてもいいってレベルなんです。
だから自分の会社に合った人材がいれば採用するし、いなきゃ新卒ゼロでもいいっていうわけ。

これこそ、お見合いですよね。企業とのお見合い。

まあだからこそこの企業とは縁が無かったんだって割り切れるのかもしれませんけどね。



そうそう、2週間ぐらい前にとある企業に会社訪問に行きました。
たまたまハロワで見つけて、どんな企業なのか実際に見てみたいと思ったんです。

でも履歴書の提出を求められたときに、そこに志望動機欄があったせいで、
こんな志望動機じゃ認められないみたいなことを遠まわしに言われたんです。

いやいやいやどんな企業かわからないから会社訪問に来たんじゃんか。
判断材料がチープな自社HPしかない以上、そこから志望動機につなげられる判断材料って何さ。
確かに何も知識が無いせいで適当な志望動機書いた私も悪いけどさ、
一体何の会社なのかすらわからないようなHPのくせに偉そうなこと言うんじゃねえ!
・・・って心の中でめちゃめちゃ愚痴ってました。

さらに結構ストレートに、女性だと辞められちゃうから困るみたいなことを言ってきました。
絶対辞めませんって言っても信用無い顔してきたんで、めちゃめちゃ悔しかったです。

本当はその会社、父のコネが使えそうなところだったんです。
父が社長と知り合いで、父もそこなら何とかなるよと言ってくれていたのですが・・・。
会社訪問した後にいい企業だったらぜひ!と思っていたのに、
なんだかもういかにもな「いらない」ってオーラ出されて幻滅・・・

はぁ・・・お見合いって難しいですね。







なんとかして私がここ!と思えるような企業を見つけないと。
私を欲しいと思ってくれる企業に出会わないと。

道はまだ、険しく、遠い。








そうそう、バイト先は全国規模の大企業が運営してるものなんですが、
そこには「準社員」という、アルバイトとも正社員とも違った枠で働く人がいます。
準社員は地域限定雇用で、正社員の登用もあるというポジションです。

もし内定出なかったらうちの準社員になれば?と笑いながら言ったスタッフもいましたが、
結局準社員って時給月給なので、責任の課されるアルバイトだと思ってます。

新卒で就職するなら、たとえ正社員だろうと時給月給や日給月給は嫌だと思うのは我侭ですか?







それではお休みなさい。



・・・1ヶ月半という短い期間でしたが、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

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こんにちは。紫遠です。


ここ数日はバイト漬けの日々を送っていたため、家事を怠った結果が、
外は雨なのに1週間分の洗濯物を洗濯機にぶち込み、ひたすら室内干しという現実です。
これ・・・ちゃんと乾くかな・・・

それにしても2桁勤務はなかなか久しぶりでした。
もしかしたら3年前の寿司屋での10時間勤務以来かもしれません。
でもさすがに昨日の、8時~23時という15時間勤務は史上初ですよ。
次の日である今日が休みじゃなかったら絶対あんな無茶しません。もう絶対しない。

そんな14時間勤務の連続という無理がたたったのか、
今朝は起床後からずっと喉が痛く、鼻水が止まりません。
無茶のせいなのか、昨日の無理な一人酒のせいなのか、布団1枚で寝たせいなのか、
思い当たる節がありすぎてよくわからなくなってきましたが。




そんなバイト先の話です。



私が働いているところは、知る人ぞ知る全国チェーンのアパレル。企業規模はかなりのもの。
そんなところなので、何から何まで上からの指示で決まっています。
例えば、どういう商品の配置をしろとか、朝礼のときに方針や決まりを唱和しろとか、
シフトさえパソコンで1分刻みの管理。たった1分過ぎただけで怒られる始末。

こんなぎっちぎちに縛られたところで働くのは初めてなので戸惑うばかりです。
自分の思う仕事をしちゃいけないっていうのは楽だけど苦痛でもあるよね。
あれしろこれしろと言われてやるのは楽。
けどいちいち指示を仰ぐのも大変だし、
その人が見えてない仕事だってあるのにその作業をすることは許されないわけで。

なんだか面倒なところで働くことになったなーとか思うばかりです。


それと、商品が服であるだけにとにかく仕事場が埃っぽい。
いくら掃除しても綿ホコリが出るわ出るわ。
マスクして仕事したいぐらいですが接客業でそんなこと許されませんからね。
そんな埃っぽい仕事場で「活気出し」の名目で大声張り上げなきゃいけないせいで、
昨日とか一昨日とかも喉をつぶし声がガラガラになる人が続出でした。
・・・あ、私の喉の痛みってこれが原因なのかもしれない。

そんな埃っぽい仕事場で喘息大丈夫なのかと思いましたが意外と発作は出ません。
恐らく私がダメなのはハウスダストであって、衣類の埃じゃないんだと思います。
新品のものにハウスダストなんてそう付着しませんからね。
奴らの餌は人間の皮脂とかフケ・アカとかだから新品には取り付けまい。



一昨日から全国一斉に、店の存亡をかけた一大セールが開催されました。
一昨日なんかもう来客数がすごいのなんの。
売り場にぎっちぎちに出した商品がものの見事に消えていきました。
閉店後の店は見るも無残な姿になっていましたよ本当・・・あれはひどかった。

昨日も昨日でセール2日目と休日なせいか来客数は相変わらずで。
品出しも追いつかず、やっぱり棚はもぬけの殻になっていきました。
しかしそのお陰で昨日は、全国の店舗で売り上げが1位という記録を獲得しましたやっほい!
・・・あれ?このセールの火付け役である東京の店舗はどうした・・・?



そんなセールの中、私は昨日、働きながら本当に心折れてました。
一昨日の14時間勤務でぼろぼろになり、相当精神が参ってたんですが、
昨日もやっぱり酷さは相変わらずで、働きながら「もう辞めよう」と真剣に考えてました。

接客業なのに、営業スマイルがつくれないんです。
お客様の顔が見れないんです。
言葉も態度も雑になっていく自分に気がついて、ああもうダメだって思いました。

一昨日も、一緒に働いている人から「目が怖かった」と言われました。
まったく意識してない状態でそれですから、その状態でお客様の対応してたのかと思うとゾッとします。


仕事の何が嫌かと言いますと、結局、客が許せないんですよ。

一度カゴに入れた商品を適当なところに戻していく人の数がハンパない。
例え同じ場所に戻しても、ぐちゃぐちゃだったりハンガーが逆だったり。
そういったものを1から整頓しなきゃいけないのがとにかく辛いんです。

例えるなら、子供がひっくり返したおもちゃを大人が片付けているような。
せっかくきれいに並べたドミノを倒されては戻し、倒されては戻しているような。

私はオープニングからいるスタッフですから、売り場作りから経験しているわけです。
サイズ順に商品を並べ、綺麗な売り場を作り上げた達成感を味わっているわけです。
それを片っ端から崩されていくこのやるせなさ、悔しさがとにかく辛いんですよね。

商品が売れていくことは嬉しいし、新たに品出しするのもやっぱり嬉しい。
けど、売り場が壊されていくことには納得できない。
商品整理をしながら、「私、なんでこんなことしてるんだろう」と思うとやる気がダダ落ちします。

多分、ここのバイトはあまり長続きはしないだろうな、と自分でもう思います。



一緒に働いているスタッフはみんなとてもいい人たちです。
スタッフの方々のおかげで、私がこの連勤を乗り越えられたと言っても過言じゃないです。

私が昨日、もう辞めよう、無理だ、今日は早退して頭冷やそうとか真剣に考えているとき、

「ここの仕事場の○○なとこがダメよねー」とかグチってくれる主婦なスタッフとか、
「本日の目標達成でーす」と小声で扉から顔半分だけ出してニヤリと笑う社員さんとか、
私が疲れて頭が回らず指示を聞き返したりしたときに「がんばりましょう!」とガッツポーズしてくれた男性スタッフとか、

なんか、そんな些細なことでスッとイライラが消えるんです。
本当に一緒に働く方々には恵まれたと思ってます。


昨日も閉店後の品出しでは、2児のママな方と私を含めた学生3人の4人で固まって作業している時、
恋愛トークだったり学生生活のことだったりを喋りながら作業したのがとても楽しかったです。
主婦なその人は店のセールのために長時間働くべく、実家に子供を預けてきたそうで、
「子供いなくて寂しいよー誰か泊めてくれない?料理つくるし掃除洗濯全部やるから」
とその人が言った瞬間の学生3人の「ぜひウチに!」アピールも非常に楽しかったです。

まあそんな雑談をしてたせいで全員注意を受けたんですがそれも楽しかったです。


スタッフみんなと一緒に仕事をする楽しさと、接客業に対する辛さを天秤にかけて、
どうしても辛さが重くなるようだったら、すぐに辞めようと思います。




あー・・・2連休した後出勤するのが辛くなるだろうなー・・・







それでは。この喉の痛みが早く治りますように。あと舌先の口内炎とかまじ勘弁超痛い。

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こんにちは。紫遠です。


相変わらず余震が続いているようですが、皆様いかがでしょうか。
実家のほうの地震の情報もこちらにいるととにかくわからないので、
最近は毎朝の日課みたいにして、やふーの地震情報を確認しています。

昨日とか一昨日とか、なんで夜中に震度3とかくるんだろうね。寝付いた頃だろうに。






さてさて。

今まで地震のことばかりな日記だったので、
いざ日常のことを書こうと思うと、何を書いていいものか困りますねwww


学科の女の子たちと一晩中飲みしたり、
例のバイトの教授がスペイン料理をおごってくださったり、
ゼミにて教授のダメなところにイライラしたり、

そんな相変わらずの日常を送っております。



あ、あと、米米と1日デートしました!
本当はテロテも参加して、もう私両手に花じゃん鼻血出るわハァハァ状態を期待したのですが、
残念ながらテロテは体調不良によりキャンセル・・・非常に残念でした。

お昼めんばの中では、私にとって1番近い場所にいるはずの米米でしたが、
なんだかんだで会ったのは卒業以来はじめ・・・て・・・?
区は違えど同じ市内にいるはずなのにね。だって国立大通ってる人なんて恐れ多いげふんげふん

駅で米米と合流して、米米のあまりの可愛さにもう私どうしようかと思いました。
思わず真っ先に「悪い虫ついてない?大丈夫?」って聞いた私どうかしてると思う。
そして高校3年間、大学3年間をないがしろにした自分自身を恨んだね、ええ。
もう何この可愛さなにこの癒しオーラこんな私と一緒でごめんなさいって思いました。

米米とのデートとしては、まず米米の大学内を見学させてもらった後、
近くの某遺跡まで歩いていき見学、その後ファミレスで昼食&雑談、
例の映画を見た後にお別れ、という感じでした。

ひたすら米米と喋ってたんですが、お互いに専門が生物系ってことで会話が弾み、
ファミレスとかバスの中とかで一般人向けじゃないアレなトークがすごかったです。
食事中なのに食事中にしちゃいけないような話とかね!生物系の免疫すごすぎる。
米米も「こんな話をお昼めんばの誰かとできるとは思わなかった」って言ってたしねwww

ファミレスや映画館にて私がぐりのひとこともしくはテロテへのメールを書いてるとき、
米米を「天使」と書くたびに、隣から覗き込む米米が「違うってばー」とか言いながら、
苦笑いみたいな顔をして手をぶんぶん振るのが非常に可愛らしかったです。おっとよだれが。

・・・この記事を米米本人が読んでドン引きされない程度に自重するつもりでしたが、
ちょっと無理そうなので諦めます。ごめん米米、ごめんみんな、こんな奴で。
今書き込んでいるハニーの隣に置かれた江ノ水での写真から心なしか嫌なオーラが出てる気が。

こんな変態でよければぜひこちらに遊びに来てください特にテロテ風邪早く治すんだ!






それと、2週間くらい前からバイトを始めました。
今度近くにショッピングモールがオープンするので、
その中にある、某アパレルショップにてバイトをすることになりました。

多分仕事場の平均年齢30歳ぐらいじゃないかと思うぐらい若い人だらけの仕事場です。
アパレルなので女性ばかりの仕事場ですが、みんな優しくていい人たちばかりです。
仕事としてはかなり大変ですが、かなり働きやすいところかと思ってます。満足。
今ようやく全員の名前を覚えきれたか・・・な・・・って感じです。だって人数多すぎ・・・20人以上orz

昨日もバイトだったのですが、もう自分の動けなさとかダメなところがいろいろ見えて、
帰宅後も疲れと相まって落ち込みまくりでした。
店長に名前を呼ばれる空耳は聞こえるわ、目をつぶれば社員の目が笑ってない笑顔が浮かんだり、
私こんなにもメンタル弱かったんだっけと思うぐらいでした。胃が痛い。

それでも私はどうせ今しか働かないのだから、嫌なら辞めればいいと思ってるので、
その点では逃げ道がある分、気が楽なのかもしれませんけど。
これが就職先だったら・・・逃げられないし嫌すぎる・・・

とりあえずオープンは目の前なのでがんばります。うし。








それでは。

とりあえず今日中に履歴書2枚仕上げて、明日は1日でなんとか用事全て片付けよう。

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こんにちは。紫遠です。


今日で震災から1ヶ月となりました。

今書いているあと数分後、地震の起こった時間となります。




なんだか、いろいろ考えさせられます。


例えば、CMその他でひたすら流れる「頑張れ」の声。
被災者はその「頑張れ」が苦痛だったりもするようです。
家を失い、家族を失い、それで「頑張れ」とは何を「頑張れ」というのか、と。
結局自分が家も家族も財産もある中の、安全なところからの「頑張れ」なんて、
説得力も無ければ嫌味にさえ聞こえるようです。


国を背負い立つ政治家が、ただ作業服という”衣装”をまとって何もしない、
寄付行為は禁止だからと金も出さなければ被災地に赴かないとかもありますが、
何やら聞いた話によると、そういうお偉いさんが被災地に行ってしまうと、
そこの市長とか自治体の偉い人がそのお偉いさんの接待をせねばならず、
業務の差し支えになるから、と周りが止めたというケースもあるようですね。
どっちにしろあくまで「視察」なので物資をくれるわけでもなく、
ただ見歩いては「頑張れ」と声をかけていくだけなので、だったら行かないほうが、と。


まあ他にもいろいろあるようですが思い出したらぼちぼち書いていきます。




昨日、東京から高速バスでアパートへ向かう途中、
原発反対を掲げるデモが行われていました。
日本に原発はいらない、即刻廃炉すべきだと訴えていました。

今回の地震による原発事故により原発反対を訴える人はかなり増えましたよね。
某アーティストもすごい歌うたってましたけど。

けど、私はやっぱり原発反対の立場には立てません。
福島も茨城もこんなにも農業漁業において打撃を受けましたが、
どうしても、反対とは言い切れません。
かといって賛成を掲げるほどかといわれたら悩むところですが。

今回の原発事故で、あれだけ安全だって言っておきながら、という気持ちは分かりますが、
地震対策とかってまだまだ研究の行き届かないところもあると思うんです。
東電の言う「想定外」というのは本音だと思いますよ。
かなりの地震を想定してその対策はしてたんだと思います。
けど、耐えられなかった。まだ人間は天災に立ち向かえるだけの力が無かったんです。

しかしあれだけの事故を起こしてしまった以上、しかるべき措置は必要だと思います。
想定外だったなら仕方ないよね、なんて間違っても言いません。
起こしてしまった罪は重く、それをしっかりと償わなきゃいけません。
東電はこれから、復興とか保障とかその他もろもろ、
それこそ過剰だと言われるほどに日本国民みんなにしなきゃだめだと思います。
それだけ罪は重いと思います。

まあ多少捻じ曲げられた報道だとしても、東電のミスもいろいろあるように思いますねー。
想定外以前に足りない部分があったんじゃないか、ってね。
あと幹部の人たちの態度とかダメだよね、ちゃんと反省してるか疑わしいよね。

けどこの事故を社員全員の罪だって言うのはちょっと違うんじゃないかと思いますね。
ある学校で万引きをした生徒がいたからその学校の教員生徒全員に罰を、とか
そんな感じの理不尽さがあるように思えますけど、どうなんでしょう。

えーと、何が言いたいのかよくわからなくなってきましたけど、
この事故から日本の原発を全て廃炉にという考えにはならなかったよ、というわけです。
これまでだらだら書いたこと一切理由になってない気もしますけど。いいか。

あとは現実問題、これだけ原発に頼った発電してて、
いざ廃炉にしたとき他の発電で本当に電気をまかなえるのかって話ですよね。
今国を挙げて節電を心がけていますけど、
あれだっていつかは終わるからと我慢できてますけど、
一度甘い汁吸っちゃうと、ずっと不便な生活でお願いしますなんて無理でしょう。

原発に代わる安全で効率のよい発電システムがあればいいですけどね。
そんなの技術者がやればいい、さっさと発明しろ、けど原発は反対しますってのは、
なんだか他人任せでわがままな話だなーとかうっすら思ったりもします。


正直原子力とか発電とかむずかしいことよくわからんのですが、
とにかくこれから先を見据えたら、いろいろ改善していかなきゃですよね、人も技術も。




本格的に話の軸がわからなくなった。










それでは。今日は夕方からゼミらしい。明日はバイトらしい。いってきまー。

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こんばんは。紫遠です。


毎日だらだらとした生活を送っております。時間をこんなに無駄に使っていいのか私。

そしてこれからの日程も一体どうなるのだろうかと真剣に悩んでおります。
ゼミって週1なんですか・・・?他の日授業無いんですけど何すればいいんですか。
ひたすら卒研用の論文読めって話ですか。

明日バイトの面接行くんですが、シフトに関して一体何て言おう。
あの教授のことだから突然ゼミやるとか言い出したらバイトなんて出来ないぞおい・・・






さてさて。

被災日記はもう昨日でおしまいーと言ったのですが、
ぐりに何気なく「被災してるときは人の本性が出る」と書いて思い出したので、
それについてちょっと書いておこうと思います。


ピンチのときって、本当に中身というか性格が反映されるな、と。
例えばとにかく揺れがおさまるまで待機しようという私のような人間と、
姉を心配して揺れる中階段を下りて、コンロの火を止め食器棚を押さえる妹と。
咄嗟に起こす行動の違いっていうのは、人の性格を反映させるなーと思います。

自分の行動を擁護するようで申し訳ないのですが、
やっぱり家が崩れるかもしれないほどの地震では身を守ることが第一かと思うのですよ。
あの震度6弱の、かつ激しい横揺れの中で歩くのはやっぱり危険じゃないかなーと。
妹のように、自分より他の人のために咄嗟に動ける人はすごいとは思うけれど、
必ずしもそれが正しい行動かと言われれば悩むところではないのでしょうか。

とまあ自分の行動の正当化はこの辺にして。



ここからは母から聞いた話なのですが。

母は地震のあと仕事場であるゴルフ場の様子を見に行って、片付けをしてきたんです。
そのゴルフ場にはそこ専用のタンクを持っているため水の確保が出来ていたので、
皿などの洗い物をしたり床を掃除したりしたんだそうです。

そんな自主的に仕事場に来て片付けを率先して行う人の傍らで、
同じパートの人や社員の人たちが、自分の家庭で使うために水をくんでいたんだそうです。
片付けを手伝った後ならともかく、水だけ汲みに来て帰ってしまうんだそうで。

また、社員の人たちは自分たちで管理しているトイレットペーパーやティッシュペーパー、
食器用洗剤などなど会社の備品をここぞとばかりに持ち帰っていたり、
カートを管理するキャディーの人たちはカートからガソリンを抜いて自分の車に入れてたり、
とにかく自分勝手な行動をとる人たちが目立ったのだそうです。

真面目に片付けをしている自分たちが馬鹿らしくなった、と母はとても怒っていました。


一方で、ある程度の地位にいるとある社員が、自分の近所や知り合いに、
「うちのゴルフ場ば水が出るから汲みにおいで」と言いふらしてしまったそうで、
たくさんの人が水を汲みにゴルフ場へ来てしまったのだそうです。
タンクの容量にも限界があり、ゴルフ場での片付けなどに使うための水なので、
水がなくなってしまうと困るという理由から一般の人はお断りしたそうなのですが、
あまりお人よしすぎる、助け合い精神豊富すぎても困るよね、とも言っていました。


この震災の中で誰がどういう行動を取るかっていうのは、
人間関係においてすごく重要だったりするんだなーというのを改めて思いました。

きっと自分のためにと水や備品を持ち出した人たちもお人よし過ぎる人も、
これから元の業務に戻ったとき、今まで通りには人間関係を築けられないと思います。

どんな状況でも、大切な何かを忘れた行動をしちゃいけないんだな、という教訓ですね。


ちなみに母は片付けをしてくれたから、と責任者のお許しを得た上で、
水を汲んだりガソリンを分けてもらったりしたそうです。
そんな責任者は被災中、社用車を乗り回していたそうですが。お前もか。



母から聞いた話はこの辺にして。
正直、家族にしてもいろいろ思いました。

母はぐりにも書きましたがとにかく「自分ばっかり」と思う人です。
「なんでうちばかり被害が多いの」とかなんとか。
家の家計が苦しい中、余計な出費がかさむのは家計をやりくりする身としては辛いのかもですが、
それにしても他と自分のところを比べては溜息つくのはうんざりですね。
被災して苦しむ人たちがいる中でこういう言い方するのは失礼かもしれませんが、
家が傾いたわけでも全壊したわけでもない、家族が怪我したわけでもない、
瓦が落ちて壁もガラスも割れて、それだけで済んだならよかったと思うべきですよ。

また、母はどうも人のせいにするというのが激しいように思います。
あまり詳しくは言いませんが、瓦の修繕に関してひと悶着がありました。
自分もそれに関わっているはずなのに、とにかく人のせいにする傾向が母にはあり、
傍から聞いているととにかくイライラしました。

そんな母の愚痴やら理不尽な言葉をもろに喰らったのは父でした。
父は平日に出勤しては作業をし、帰宅すれば母からいろいろ言われ、
休日には屋根での作業に追われ、毎夜余震で起こされ熟睡できず。
そんな毎日を送っていた父が可哀想で仕方がありませんでした。
父は相当ストレスを溜めていたでしょうが、それを表に出すことはありませんでした。
そんな父に敬意を持つと同時に、ものすごく心配も出てきますけどね。大丈夫かな。

妹のことは上に書いた通りで、とにかく人のためと気遣いをする子なので、
ありがたい反面、空回りもするしちょっと心配だったりもしました。

姉に関しては、地震で帰宅してから炊き出しに出かけるまでの丸1日を見て、
姉は自分からは絶対に動けない人だな、と思いました。
姉だから良いものの、これが同じバイトの人だったら私はブチ切れると思います。
家族総出で家の片付けしてる間に双眼鏡持って空の鳥見てる姉にはイラッとしました。
もう社会人になって丸一年になりますが、
多分仕事場では仕事を与えられてそれを黙々とこなしてるんじゃないかなと思います。
就職したての下っ端ならそんなものかとも思いますけれど、
さすがに地震後の姉の様子を見て、ないわーと思いましたね・・・


と、枸にファミコンとか言われましたが家族の悪口言ってみました。






それにしても私、大学に来てからだいぶ「人」を見るなーと思うようになりました。

今まで人と接したりしたときに、この人がどんな「人」なのかってあまり見なかったので、
二次元のキャラクターに感情移入とかもすごく苦手な人間でした。

大学来てからは今まで全然見えなかった家族みんなの良い点悪い点が見えるし、
久々に高校のめんばーに会ったときも、
1人1人に対する感じ方が高校のときと全然違っていたりもしました。

これが私にとっての「成長」なのだとしたら、
今までの人生なにやってたんだろ私って思いますねー。
まぁ決して後悔してないですけど。だってその時がものすごく楽しければそれでいいじゃん。



感情移入の話ですけど、今ひたすらもやしもんを読み返してます。
といっても10冊しかないんですがね。それでも読むのに1冊1時間はかかります。

ある程度の巻までは高校時代に買ったので読んだのも高校のときで、
そのときはもやしもんを、酒と菌の知識を面白く得る漫画と思ってたのですが、
今読み返してみると、それぞれのキャラクターの行動の理由や性格やらに、
もう頭がぐあんぐあんするほど感情移入して訳分からなくなります。
・・・うん、ボキャブラリーが貧困なので何て表現していいのかわからないのです。

うーんと、それぞれのキャラのダメなところが自分と重なるというか、
それで何がどうダメなのかを客観的に見るので余計にグサグサくるというか。
でもそのダメなところにも理由があって、それを考え出すともう頭ぐるぐるして。

これ、友達や家族といった現実世界の人たちにもやり出したら私精神狂うぞ。
漫画は客観的に背景も見れるからまだ良いけど、
自分の視点でしか見られない現実世界はもう訳わからんくなるね・・・

考えることを今放棄しました。人間としてやっちゃいけないこと10ヶ条の1つ。







なんだか言ってることがふらふらして読みにくいですよね。すみません。





それではお休みなさい。

もやしもんの数冊のカバーが今は無き高校近くの書店のものであることに気付き、
なんとなく寂しさを覚えた紫遠でした。さ○らシテ○ェ・・・

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こんばんは。紫遠です。


今日は春学期が始まる最初のガイダンスでした。
久々にみんなに会えて嬉しかったなー。あまり喋れなかったのが悔やまれる。

そして春といえば新作アニメですよねー。今は片っ端から1話見てる段階です。
毎年春は豊作だって言われてますけど、今年もかなり期待ですよぐへへ。





そんなこんなで例の如く、記録を残していきますかねー。




<7日目>

朝食は前日に焼いたパン、炊き込みご飯の残り、コーンスープ。
このコーンスープは夏に収穫したトウモロコシをミキサーでつぶして冷凍しておいたものです。

この日は平日ながらも父が仕事を休み、母と2人で屋根のビニールシート張りをしてました。
これまで幾度か「ビニールシート張り」という作業を書いたと思うのですが、
例えばブルーシートの大きさが足りないとか、ガムテープが足りないとか、
強風にあおられてブルーシートが外れてしまったなどなどの理由もあり、
なかなか1回では終わらない作業だったんですよね・・・。大変だ。

それにしても屋根に人がいるときの余震はガチでビビる。

昼食はさらに焼いたパン、炊いたご飯。
強力粉が広告の品として安く売られていたときに大量買いしたおかげで、
パンを焼くのにはしばらく困りませんでした。

午前か午後かは覚えてないのですが、この日ハッチから物資が届きました。
ぐりに写真を載せた通りのものです。感謝感謝。

夕食はご飯、シャケのホイル焼き。妹特製。
前日に買ったしいたけが大量に入っていて美味でした。



<8日目>

朝食はレタスと卵を入れたサンドイッチ、ご飯、いなり寿司。
いなり寿司は前日に姉が持ち帰ってきてくれたものです。本当にありがたい。

午前中に妹と2人で自転車をこいでスーパーとホームセンターへ。

ホームセンターでは犬のエサとコーキング剤(壁のヒビに充填するシリコン製のもの)を購入。
なかなかコーキングガンを持ってる人なんていないから売ってるだろうと思ってたら、
白色のコーキング剤は見事に売り切れでした。みんなDIY好きだなぁ・・・
犬のエサは、こういうときぐらい年齢に見合ったものを買ってあげようと思い、
7歳からの~という餌を買っていったら、父に間違って買ってきたのかと思われたらしい。
父に「リュウだって今年で8歳だよ?」って言ったら驚いてたので、
多分父はうちの子の年齢を知らなかったんじゃないかと思います。

スーパーでは食料をちょこっとずつ購入。
もやしが大量に売られていたのでもやしを4袋も買った覚えがあります。
また、レジがとても混んでいて、30分ぐらい並びました。げんなりです・・・
しかし2日前に来たときとは客層がすっかり変わっていたのに驚きました。
2日前は着の身着のまま、スウェットでもなんでもという感じだったのに、
今回はきれいな服を着て、化粧した人も見かけるほどに。
たった2日間でこんなにも変わるのか、とびっくりです。

帰宅して昼食。昼食はご飯のみ。漬物やふりかけなどで食べました。

午後からもう1度妹と2人で自転車でホームセンターへ。
今度は灯油を買いに行きました。18Lを1人1本ずつ。
灯油はストーブはもちろん、風呂を沸かすボイラーにも使うので無くなると困るんです。
行きは良かったのですが、帰りはずっと自転車を押して帰ったので大変でした。

そんなことをしている間に地震から丸1週間が経ちました。
確かに考えてみたら、日本は特に復旧の早い国なのかもしれません。
たった1週間で電気も水道も元に戻ったわけですしね。
あちこちで1週間経った午後2時46分に黙祷をしていたらしいですが、
残念ながらその時間は自転車に乗ってました・・・。ご冥福をお祈りします。

しかし自転車で2往復はなかなかに身体にこたえましたねー。
距離としては自転車で20分ぐらいなのですが、
いかんせん実家が山の上なせいで、坂道が多いのなんの。道の半分坂ですよ。
行きはよいよい帰りはこわい。こわいって茨城弁で「疲れる」って意味なのでまんまですよ。
そんな坂道を18L灯油タンク積んだ自転車押すんですから、
そりゃあもう疲れますよね・・・もう二度とやるもんか。

夕食は乾麺を茹でてうどんに。葉ねぎが畑にあるのでねぎのお汁です。
我が家では玉ねぎを成長させたねぎのことを「葉ねぎ」と呼ぶのですが、
正確には何て言うんでしょうね。そもそも玉ねぎを成長させないのか。




<9日目>

朝食はご飯、パン、夕食の残りのうどん。

何もしない生活。だらだら生活です。

昼食はもやしを入れたインスタントラーメン。

午後、ハッチから2つも物資が届きました。
ドッグフードやレトルト食品などなど。大助かりです本当にありがとうございました。

夕食はカレーライス。

夕食後に入浴していると、強めの余震が。震度5弱でした。
お湯をはった浴槽の中にいると重力がきかない分全然揺れを感じませんでした。
その代わり、棚の洗顔フォームとかいろいろ倒れたり、ボイラーが自動停止したりして、
それらを見て、あー結構大きな地震だったんだなーと思ってました。
しかしもしそれがもっと強い地震で、家が傾いて避難しなきゃということになったら、
私は全裸で家を飛び出さなきゃならなかったのかしら、と今更思います。

その5弱の地震に対し、ハッチが電話をかけてきてくれました。ありがとう大丈夫でした。




とまぁこんな感じで9日目まで。
なんかこの後は食事日記みたいになっていくのでそろそろ終わりにします。

10日目は午後に父とまた自転車で買い物に行ったり。
テロテから電話が来てハッスルしたり。
11日目には枸からダンボール2箱も物資が届いてひゃっほうってしたり、
それに対して思わず電話をかけたら枸にとても驚かれたり。
12日目には実家にあるDVDを見て、PTSD自覚したり。
13日目には何も無く、14日目には企業の面接に出かけて、たかつき宅にお泊り。

こんな感じで生活してました。


しかし被災後の食事をずらずら書いてみましたが、ほんっと酷いですね。
とにかく野菜も魚も肉も手に入らないので、ひたすら炭水化物な生活でした。
そのせいかお通じが悪いのなんの。出るけど尻がとても痛かったです。





あと、9日目の新聞のコラムで紹介されていた詩の一部を紹介します。
全国紙なので多分読んだ人たくさんいるとは思いますが。和訳されたものです。

失意の胸へは
だれも踏み入ってはならない
自身が悩み苦しんだという
よほどの特権を持たずしては

・・・と続くらしいのですが、これを見てぐさっと来ましたね。
少なからず他の人に「わかってたまるか」と思っていた自分に気づかされて。
東北ではもっと苦しんでる人たちがいるのに、
自分も被害を受けたんだ、この苦しみを誰がわかるかと思ってた自分がいて、
それに気づいたとき、なんて自分は小さな人間なんだろうと思いました。

やらない善よりやる偽善と言うけれど、
その偽善も受け取り側が「わかってたまるか」と思わずにありがたく受け取れば、
偽善じゃなく善にもなりえるんじゃないかなーと思います。

この詩が紹介されたコラムを見るまでは、私本当に何もかもにイライラしてました。
テレビやネットで知ったかぶりして役に立たない知識や情報振りかざして、
さも自分の知識や情報が人の役に立つんだぜーなんていう態度とかしてる奴らもいて。
お前らに何が分かる、被災経験もないくせに偉そうなこと言うなと思ってました。

けど、そんな人たちも、例え下心があっても、
多少は人のためにと思ってそういう行動をしているのだと思うと、
役に立たなくても、偽善でも、ありがたく受け取ろう、と思えるようになりました。

いっぱいいっぱいな時でも、心にゆとりを持てるように心がけよう、と思えた経験でした。




これで被災日記は終わりです。

たいした被災じゃないかもしれませんが、ちょっとでも状況を知ってもらえればと思います。







それではお休みなさい。明日は罹災証明云々について大学の事務に殴りこみに行ってきます。

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こんばんは。紫遠です。

実家に帰省している頃から、よく「最低だ!」という言葉を口にするようになった私。
あまりいい言葉じゃないので言わないように心がけてはいるのですが、
一度ついてしまった口癖って、なかなか直らないんですよね・・・






さてさて。ぼちぼち4日目以降も書いていきたいと思います。

もはや読んでもらうのが目的ではなく、私のために残しておくという感じですね。
物忘れがひどい私にとって、ここまで1日1日を細部まで書きとめておくのは珍しいし、
特に経験したことがまあアレなので、できるだけ残しておかなくては、と。




<4日目>

6時に起床。朝食はおにぎり、昨夜の残りのつみれ汁、卵焼き。
いつものようにガスコンロを使う朝の光景がとても新鮮に見えました。
ちなみにこの朝食で食べたおにぎりは、
前日に姉が炊き出しの残りとして持ち帰ってきてくれたものでした。
感謝感謝。

この朝、ついに水道管に溜まっていた水を使い切り、水道からは一滴も出なくなりました。

朝から父も母も姉も出勤。
せっかく電気が通っても、やはり節電をせねばと思い、
テレビは見ずにラジオを聴いて過ごしていました。

ちなみにこの日、私の住む市が計画停電エリアになっており、
昼間の4時間ほど停電が行われる予定だったんです。
せっかく電気がきたのにまた停電かよ・・・と思いつつも、
いやいや他の地区ではまだ電気の供給が行き届いてないのだから、
またちょっとぐらい我慢せねばと、待ち構えていたんです。

ところがどっこい。いきなり「茨城県は計画停電エリアから外す」との報道が。
嬉しいやらがっくりしたような。
でも考えてみたら、この日私の市で電気が復旧してたのってほんの一部の地域だったんですよ。
後日姉から、電気も復旧してないのに計画停電するってどういうことだ、って、
復旧してない地域からの苦情がだいぶ出てたという話を聞きました。
東○電力さん・・・バタバタしてるのもわかるけど、ちょっと無計画すぎやしませんかね。

昼食は残りのおにぎりと冷凍食品の唐揚げ。
初日に食材を持ち出したとき、発泡スチロールの箱に冷凍・冷蔵食品詰め込んで運び、
それを丸一日近く外に出してたので、冷凍食品が溶けてしまったんですよね。
なのであまり日持ちしないだろうそれらをぼちぼち食べていかなきゃ、と。

午後4時頃。
昨夜の風呂のお湯(既に水ですが)と沸騰させたお湯を手元で混ぜ合わせながら、
それを体にかけたりして、髪と体を洗わせてもらいました。
髪は5日も洗ってなかったので、久々の洗髪はとても気持ちよかったです。
ただ、あまりにも脂がひどかったので、シャンプー1回じゃ落としきれず、
水が貴重な中で申し訳ないと思いつつ、2度洗いしました。
やー、シャンプーがぜんっぜん泡立たなかったんですよ1回目。びっくり。

夕食はうどん。暗くなる前の夕食ではなく、照明のついた中での食事は久々で、
うどんも温かいし、光もあるしでほんわか心が暖まる気分でした。

この日だったか前日だったか、姉から「水道復旧は1週間後」と言われました。
電気があるだけマシと思いつつも、あと1週間は長いな・・・と落ち込んだり。
公務員が身内にいると、ラジオでも流さないような身近な情報が伝わってくるので、
ちょっと姉様様だなーと思ったりしましたがやっぱり公務員になろうとは思いません。

夜。リビングにすいた布団に入りながらテレビを見る心地良さは格別でした。
ただ、みんなテレビを見ながら寝落ちするので、
誰かが責任を持ってテレビと照明を消さなきゃいけないのが大変でしたが。

もはや余震はあって当たり前なのでいちいち書きません。





<5日目>

朝6時に起床。朝食は炊飯器で炊いたご飯。おかずは適当に。

父が出勤する前に屋根のビニールシート張りをしようということになり、
2階のベランダに出て父と母と私とで作業をしていたのですが、
途中で私の目に違和感が出て、鏡で目を見ると白目が黄色く変色。
母に見せたら2人で大騒ぎ。急いで眼科へ行くと花粉症と診断されました。

処方された目薬をさすと次第に症状はよくなっていきましたが、
もう二度とそうならないように、と母から外出禁止令を叩きつけられました。

父と姉は早々に出勤。母も眼科から戻ってきてすぐに仕事場へ向かいました。
しかし母、出勤して1時間で帰宅。
なにやら「原発の影響で外にいるのは危ないから帰れ」とお達しがあったのだそう。

昼食は昨夜のうどんの残り。

午後から妹と母の2人が、給水所まで歩いて水をもらいに行きました。
私も行くと行ったのですが、朝のこともあり外出を許してもらえずに留守番でした。

ここいらの地区の給水所は実家から歩いて10分程度なのでとても近く便利でしたが、
近くに団地があるために他の給水所よりも相当混雑していたようです。
しかし母と妹が行った時間には人はあまりおらず、すんなり水がもらえたのだそうです。
よかったよかった。

夕食はカップラーメンでした。
そろそろ食べるものにも限界を感じ始めた頃でした。





<6日目>

朝食は冷凍にしておいた餅。

朝食後にホームベーカリーで食パンを焼き始めました。
このホームベーカリー、私が実家にいない間に購入したものらしく、
私が帰ってくるたび出来上がったパンを父が振舞ってくれていたのですが、
実際に私が焼くのはこれが初めてでして、焼きあがるまで4時間かかるんですが、
その間ずっと出来上がりが楽しみでそわそわしてました。

例のごとく父と姉は出勤しましたが、母は休みで家にいました。
朝、祖母宅から井戸水をもらい、母は手洗いで洗濯をしてくれました。
脱水だけは洗濯機にかけ、出来上がったものを私が干してました。
外出禁止令どうなったんだと思いつつも妹が手伝わない子なので仕方ありません。
メガネとマスクを着用し、メガネの曇りを我慢しつつ干してました。

午前中のニュースでアパートのほうで震度6強という地震があったらしくびっくり。
遅いとは思いつつも「大丈夫だった!?」と一斉送信しました。
みんな何ともなかったようで安心です。

正午になる頃、母と妹と私で給水所に水をもらいに出かけました。
ところが給水所に人がおらず、「今日の給水は行いません」との貼り紙が。
水がもらえないよどうしようと思いとぼとぼと帰宅。
まさかと思い、水道の元栓を開き蛇口をひねると水が出てきました。
水道復旧。ついに電気水道ガス全部使えるようになった日でした。
今夜はゆっくり風呂に入れる、ととてもホッとしました。

昼食はご飯と小さなインスタントラーメン。
小さなというか、なんというか、あの味つきの麺だけのやつですが名前がわからないです。
あれ何ていうんですか?大きめのマグカップサイズぐらいの大きさのやつです。

昼食後、スーパーが開店しているという情報を聞き、さっそく行ってみました。
びっくりするほど品薄。あんなにも棚に何もないのは初めて見ました。
レトルトやインスタントの食品は高い商品を除きほぼ無く、
果物は防腐剤の使われた柑橘ばかり。魚も肉もあまりありませんでした。
スーパーは2ヶ所行ったのですが、片方は余震のため入場制限してました。

スーパーへは車で行ったのですが、道がとにかく混んでまして。
というのも、まず実家からスーパーなどのある市街地へ出るには川を渡るんですが、
その川にかかる橋が3つのうち2つが通行止になってしまったんです。
そのため橋を渡る車が集中し、そこでとても混雑してました。
次にガソリンスタンドに向かう車が行列を作っており、
そのせいでガソリンスタンド以外に向かう車も渋滞に巻き込まれるハメに。
ガソリンスタンドへの行列は本当にひどかったです・・・
多分ニュースとかで見たことあると思いますけど、まさにあんな感じでした。
後日行列で死者も出てしまいましたし、燃料不足はかなり深刻でしたね。

夕食は炊き込みご飯、味噌汁、りんごでした。
スーパーでりんごを買ったのですが、生のものを食べるのは久しぶりでとても美味しかったです。





とまあ、3日分の記事はこんなもんですかね。

地震は津波も余震も建物の倒壊も怖いですけど、
その後も被災地で生活していかなければならないというのがとにかく大変ですよね。

でも、その辺は被災地にいるみんながちゃんと理解しているので、
自分勝手な行動をする人はいませんでした。
まあ、たまにはいましたけど、一斉にみんなから睨まれ怒られてましたね。
買い物でも、1人1つまで、1家族1つまでとなればきちんと守ってましたし、
何より買い占めなんてことを誰もしないんです。
今必要なものを必要な分だけ買っていくんです。
首都圏などでは買い占めが問題になっていましたが、
やはりみんな、きちんとわきまえてるんだなと感心しました。

・・・ま、そもそも買い占めるような商品ないんですけどね。








それではお休みなさい。明日はガイダンスですー。みんなに会えるのが楽しみだ。

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1989/07/10
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