こんばんは。紫遠です。
実家に帰省している頃から、よく「最低だ!」という言葉を口にするようになった私。
あまりいい言葉じゃないので言わないように心がけてはいるのですが、
一度ついてしまった口癖って、なかなか直らないんですよね・・・
さてさて。ぼちぼち4日目以降も書いていきたいと思います。
もはや読んでもらうのが目的ではなく、私のために残しておくという感じですね。
物忘れがひどい私にとって、ここまで1日1日を細部まで書きとめておくのは珍しいし、
特に経験したことがまあアレなので、できるだけ残しておかなくては、と。
<4日目>
6時に起床。朝食はおにぎり、昨夜の残りのつみれ汁、卵焼き。
いつものようにガスコンロを使う朝の光景がとても新鮮に見えました。
ちなみにこの朝食で食べたおにぎりは、
前日に姉が炊き出しの残りとして持ち帰ってきてくれたものでした。
感謝感謝。
この朝、ついに水道管に溜まっていた水を使い切り、水道からは一滴も出なくなりました。
朝から父も母も姉も出勤。
せっかく電気が通っても、やはり節電をせねばと思い、
テレビは見ずにラジオを聴いて過ごしていました。
ちなみにこの日、私の住む市が計画停電エリアになっており、
昼間の4時間ほど停電が行われる予定だったんです。
せっかく電気がきたのにまた停電かよ・・・と思いつつも、
いやいや他の地区ではまだ電気の供給が行き届いてないのだから、
またちょっとぐらい我慢せねばと、待ち構えていたんです。
ところがどっこい。いきなり「茨城県は計画停電エリアから外す」との報道が。
嬉しいやらがっくりしたような。
でも考えてみたら、この日私の市で電気が復旧してたのってほんの一部の地域だったんですよ。
後日姉から、電気も復旧してないのに計画停電するってどういうことだ、って、
復旧してない地域からの苦情がだいぶ出てたという話を聞きました。
東○電力さん・・・バタバタしてるのもわかるけど、ちょっと無計画すぎやしませんかね。
昼食は残りのおにぎりと冷凍食品の唐揚げ。
初日に食材を持ち出したとき、発泡スチロールの箱に冷凍・冷蔵食品詰め込んで運び、
それを丸一日近く外に出してたので、冷凍食品が溶けてしまったんですよね。
なのであまり日持ちしないだろうそれらをぼちぼち食べていかなきゃ、と。
午後4時頃。
昨夜の風呂のお湯(既に水ですが)と沸騰させたお湯を手元で混ぜ合わせながら、
それを体にかけたりして、髪と体を洗わせてもらいました。
髪は5日も洗ってなかったので、久々の洗髪はとても気持ちよかったです。
ただ、あまりにも脂がひどかったので、シャンプー1回じゃ落としきれず、
水が貴重な中で申し訳ないと思いつつ、2度洗いしました。
やー、シャンプーがぜんっぜん泡立たなかったんですよ1回目。びっくり。
夕食はうどん。暗くなる前の夕食ではなく、照明のついた中での食事は久々で、
うどんも温かいし、光もあるしでほんわか心が暖まる気分でした。
この日だったか前日だったか、姉から「水道復旧は1週間後」と言われました。
電気があるだけマシと思いつつも、あと1週間は長いな・・・と落ち込んだり。
公務員が身内にいると、ラジオでも流さないような身近な情報が伝わってくるので、
ちょっと姉様様だなーと思ったりしましたがやっぱり公務員になろうとは思いません。
夜。リビングにすいた布団に入りながらテレビを見る心地良さは格別でした。
ただ、みんなテレビを見ながら寝落ちするので、
誰かが責任を持ってテレビと照明を消さなきゃいけないのが大変でしたが。
もはや余震はあって当たり前なのでいちいち書きません。
<5日目>
朝6時に起床。朝食は炊飯器で炊いたご飯。おかずは適当に。
父が出勤する前に屋根のビニールシート張りをしようということになり、
2階のベランダに出て父と母と私とで作業をしていたのですが、
途中で私の目に違和感が出て、鏡で目を見ると白目が黄色く変色。
母に見せたら2人で大騒ぎ。急いで眼科へ行くと花粉症と診断されました。
処方された目薬をさすと次第に症状はよくなっていきましたが、
もう二度とそうならないように、と母から外出禁止令を叩きつけられました。
父と姉は早々に出勤。母も眼科から戻ってきてすぐに仕事場へ向かいました。
しかし母、出勤して1時間で帰宅。
なにやら「原発の影響で外にいるのは危ないから帰れ」とお達しがあったのだそう。
昼食は昨夜のうどんの残り。
午後から妹と母の2人が、給水所まで歩いて水をもらいに行きました。
私も行くと行ったのですが、朝のこともあり外出を許してもらえずに留守番でした。
ここいらの地区の給水所は実家から歩いて10分程度なのでとても近く便利でしたが、
近くに団地があるために他の給水所よりも相当混雑していたようです。
しかし母と妹が行った時間には人はあまりおらず、すんなり水がもらえたのだそうです。
よかったよかった。
夕食はカップラーメンでした。
そろそろ食べるものにも限界を感じ始めた頃でした。
<6日目>
朝食は冷凍にしておいた餅。
朝食後にホームベーカリーで食パンを焼き始めました。
このホームベーカリー、私が実家にいない間に購入したものらしく、
私が帰ってくるたび出来上がったパンを父が振舞ってくれていたのですが、
実際に私が焼くのはこれが初めてでして、焼きあがるまで4時間かかるんですが、
その間ずっと出来上がりが楽しみでそわそわしてました。
例のごとく父と姉は出勤しましたが、母は休みで家にいました。
朝、祖母宅から井戸水をもらい、母は手洗いで洗濯をしてくれました。
脱水だけは洗濯機にかけ、出来上がったものを私が干してました。
外出禁止令どうなったんだと思いつつも妹が手伝わない子なので仕方ありません。
メガネとマスクを着用し、メガネの曇りを我慢しつつ干してました。
午前中のニュースでアパートのほうで震度6強という地震があったらしくびっくり。
遅いとは思いつつも「大丈夫だった!?」と一斉送信しました。
みんな何ともなかったようで安心です。
正午になる頃、母と妹と私で給水所に水をもらいに出かけました。
ところが給水所に人がおらず、「今日の給水は行いません」との貼り紙が。
水がもらえないよどうしようと思いとぼとぼと帰宅。
まさかと思い、水道の元栓を開き蛇口をひねると水が出てきました。
水道復旧。ついに電気水道ガス全部使えるようになった日でした。
今夜はゆっくり風呂に入れる、ととてもホッとしました。
昼食はご飯と小さなインスタントラーメン。
小さなというか、なんというか、あの味つきの麺だけのやつですが名前がわからないです。
あれ何ていうんですか?大きめのマグカップサイズぐらいの大きさのやつです。
昼食後、スーパーが開店しているという情報を聞き、さっそく行ってみました。
びっくりするほど品薄。あんなにも棚に何もないのは初めて見ました。
レトルトやインスタントの食品は高い商品を除きほぼ無く、
果物は防腐剤の使われた柑橘ばかり。魚も肉もあまりありませんでした。
スーパーは2ヶ所行ったのですが、片方は余震のため入場制限してました。
スーパーへは車で行ったのですが、道がとにかく混んでまして。
というのも、まず実家からスーパーなどのある市街地へ出るには川を渡るんですが、
その川にかかる橋が3つのうち2つが通行止になってしまったんです。
そのため橋を渡る車が集中し、そこでとても混雑してました。
次にガソリンスタンドに向かう車が行列を作っており、
そのせいでガソリンスタンド以外に向かう車も渋滞に巻き込まれるハメに。
ガソリンスタンドへの行列は本当にひどかったです・・・
多分ニュースとかで見たことあると思いますけど、まさにあんな感じでした。
後日行列で死者も出てしまいましたし、燃料不足はかなり深刻でしたね。
夕食は炊き込みご飯、味噌汁、りんごでした。
スーパーでりんごを買ったのですが、生のものを食べるのは久しぶりでとても美味しかったです。
とまあ、3日分の記事はこんなもんですかね。
地震は津波も余震も建物の倒壊も怖いですけど、
その後も被災地で生活していかなければならないというのがとにかく大変ですよね。
でも、その辺は被災地にいるみんながちゃんと理解しているので、
自分勝手な行動をする人はいませんでした。
まあ、たまにはいましたけど、一斉にみんなから睨まれ怒られてましたね。
買い物でも、1人1つまで、1家族1つまでとなればきちんと守ってましたし、
何より買い占めなんてことを誰もしないんです。
今必要なものを必要な分だけ買っていくんです。
首都圏などでは買い占めが問題になっていましたが、
やはりみんな、きちんとわきまえてるんだなと感心しました。
・・・ま、そもそも買い占めるような商品ないんですけどね。
それではお休みなさい。明日はガイダンスですー。みんなに会えるのが楽しみだ。
実家に帰省している頃から、よく「最低だ!」という言葉を口にするようになった私。
あまりいい言葉じゃないので言わないように心がけてはいるのですが、
一度ついてしまった口癖って、なかなか直らないんですよね・・・
さてさて。ぼちぼち4日目以降も書いていきたいと思います。
もはや読んでもらうのが目的ではなく、私のために残しておくという感じですね。
物忘れがひどい私にとって、ここまで1日1日を細部まで書きとめておくのは珍しいし、
特に経験したことがまあアレなので、できるだけ残しておかなくては、と。
<4日目>
6時に起床。朝食はおにぎり、昨夜の残りのつみれ汁、卵焼き。
いつものようにガスコンロを使う朝の光景がとても新鮮に見えました。
ちなみにこの朝食で食べたおにぎりは、
前日に姉が炊き出しの残りとして持ち帰ってきてくれたものでした。
感謝感謝。
この朝、ついに水道管に溜まっていた水を使い切り、水道からは一滴も出なくなりました。
朝から父も母も姉も出勤。
せっかく電気が通っても、やはり節電をせねばと思い、
テレビは見ずにラジオを聴いて過ごしていました。
ちなみにこの日、私の住む市が計画停電エリアになっており、
昼間の4時間ほど停電が行われる予定だったんです。
せっかく電気がきたのにまた停電かよ・・・と思いつつも、
いやいや他の地区ではまだ電気の供給が行き届いてないのだから、
またちょっとぐらい我慢せねばと、待ち構えていたんです。
ところがどっこい。いきなり「茨城県は計画停電エリアから外す」との報道が。
嬉しいやらがっくりしたような。
でも考えてみたら、この日私の市で電気が復旧してたのってほんの一部の地域だったんですよ。
後日姉から、電気も復旧してないのに計画停電するってどういうことだ、って、
復旧してない地域からの苦情がだいぶ出てたという話を聞きました。
東○電力さん・・・バタバタしてるのもわかるけど、ちょっと無計画すぎやしませんかね。
昼食は残りのおにぎりと冷凍食品の唐揚げ。
初日に食材を持ち出したとき、発泡スチロールの箱に冷凍・冷蔵食品詰め込んで運び、
それを丸一日近く外に出してたので、冷凍食品が溶けてしまったんですよね。
なのであまり日持ちしないだろうそれらをぼちぼち食べていかなきゃ、と。
午後4時頃。
昨夜の風呂のお湯(既に水ですが)と沸騰させたお湯を手元で混ぜ合わせながら、
それを体にかけたりして、髪と体を洗わせてもらいました。
髪は5日も洗ってなかったので、久々の洗髪はとても気持ちよかったです。
ただ、あまりにも脂がひどかったので、シャンプー1回じゃ落としきれず、
水が貴重な中で申し訳ないと思いつつ、2度洗いしました。
やー、シャンプーがぜんっぜん泡立たなかったんですよ1回目。びっくり。
夕食はうどん。暗くなる前の夕食ではなく、照明のついた中での食事は久々で、
うどんも温かいし、光もあるしでほんわか心が暖まる気分でした。
この日だったか前日だったか、姉から「水道復旧は1週間後」と言われました。
電気があるだけマシと思いつつも、あと1週間は長いな・・・と落ち込んだり。
公務員が身内にいると、ラジオでも流さないような身近な情報が伝わってくるので、
ちょっと姉様様だなーと思ったりしましたがやっぱり公務員になろうとは思いません。
夜。リビングにすいた布団に入りながらテレビを見る心地良さは格別でした。
ただ、みんなテレビを見ながら寝落ちするので、
誰かが責任を持ってテレビと照明を消さなきゃいけないのが大変でしたが。
もはや余震はあって当たり前なのでいちいち書きません。
<5日目>
朝6時に起床。朝食は炊飯器で炊いたご飯。おかずは適当に。
父が出勤する前に屋根のビニールシート張りをしようということになり、
2階のベランダに出て父と母と私とで作業をしていたのですが、
途中で私の目に違和感が出て、鏡で目を見ると白目が黄色く変色。
母に見せたら2人で大騒ぎ。急いで眼科へ行くと花粉症と診断されました。
処方された目薬をさすと次第に症状はよくなっていきましたが、
もう二度とそうならないように、と母から外出禁止令を叩きつけられました。
父と姉は早々に出勤。母も眼科から戻ってきてすぐに仕事場へ向かいました。
しかし母、出勤して1時間で帰宅。
なにやら「原発の影響で外にいるのは危ないから帰れ」とお達しがあったのだそう。
昼食は昨夜のうどんの残り。
午後から妹と母の2人が、給水所まで歩いて水をもらいに行きました。
私も行くと行ったのですが、朝のこともあり外出を許してもらえずに留守番でした。
ここいらの地区の給水所は実家から歩いて10分程度なのでとても近く便利でしたが、
近くに団地があるために他の給水所よりも相当混雑していたようです。
しかし母と妹が行った時間には人はあまりおらず、すんなり水がもらえたのだそうです。
よかったよかった。
夕食はカップラーメンでした。
そろそろ食べるものにも限界を感じ始めた頃でした。
<6日目>
朝食は冷凍にしておいた餅。
朝食後にホームベーカリーで食パンを焼き始めました。
このホームベーカリー、私が実家にいない間に購入したものらしく、
私が帰ってくるたび出来上がったパンを父が振舞ってくれていたのですが、
実際に私が焼くのはこれが初めてでして、焼きあがるまで4時間かかるんですが、
その間ずっと出来上がりが楽しみでそわそわしてました。
例のごとく父と姉は出勤しましたが、母は休みで家にいました。
朝、祖母宅から井戸水をもらい、母は手洗いで洗濯をしてくれました。
脱水だけは洗濯機にかけ、出来上がったものを私が干してました。
外出禁止令どうなったんだと思いつつも妹が手伝わない子なので仕方ありません。
メガネとマスクを着用し、メガネの曇りを我慢しつつ干してました。
午前中のニュースでアパートのほうで震度6強という地震があったらしくびっくり。
遅いとは思いつつも「大丈夫だった!?」と一斉送信しました。
みんな何ともなかったようで安心です。
正午になる頃、母と妹と私で給水所に水をもらいに出かけました。
ところが給水所に人がおらず、「今日の給水は行いません」との貼り紙が。
水がもらえないよどうしようと思いとぼとぼと帰宅。
まさかと思い、水道の元栓を開き蛇口をひねると水が出てきました。
水道復旧。ついに電気水道ガス全部使えるようになった日でした。
今夜はゆっくり風呂に入れる、ととてもホッとしました。
昼食はご飯と小さなインスタントラーメン。
小さなというか、なんというか、あの味つきの麺だけのやつですが名前がわからないです。
あれ何ていうんですか?大きめのマグカップサイズぐらいの大きさのやつです。
昼食後、スーパーが開店しているという情報を聞き、さっそく行ってみました。
びっくりするほど品薄。あんなにも棚に何もないのは初めて見ました。
レトルトやインスタントの食品は高い商品を除きほぼ無く、
果物は防腐剤の使われた柑橘ばかり。魚も肉もあまりありませんでした。
スーパーは2ヶ所行ったのですが、片方は余震のため入場制限してました。
スーパーへは車で行ったのですが、道がとにかく混んでまして。
というのも、まず実家からスーパーなどのある市街地へ出るには川を渡るんですが、
その川にかかる橋が3つのうち2つが通行止になってしまったんです。
そのため橋を渡る車が集中し、そこでとても混雑してました。
次にガソリンスタンドに向かう車が行列を作っており、
そのせいでガソリンスタンド以外に向かう車も渋滞に巻き込まれるハメに。
ガソリンスタンドへの行列は本当にひどかったです・・・
多分ニュースとかで見たことあると思いますけど、まさにあんな感じでした。
後日行列で死者も出てしまいましたし、燃料不足はかなり深刻でしたね。
夕食は炊き込みご飯、味噌汁、りんごでした。
スーパーでりんごを買ったのですが、生のものを食べるのは久しぶりでとても美味しかったです。
とまあ、3日分の記事はこんなもんですかね。
地震は津波も余震も建物の倒壊も怖いですけど、
その後も被災地で生活していかなければならないというのがとにかく大変ですよね。
でも、その辺は被災地にいるみんながちゃんと理解しているので、
自分勝手な行動をする人はいませんでした。
まあ、たまにはいましたけど、一斉にみんなから睨まれ怒られてましたね。
買い物でも、1人1つまで、1家族1つまでとなればきちんと守ってましたし、
何より買い占めなんてことを誰もしないんです。
今必要なものを必要な分だけ買っていくんです。
首都圏などでは買い占めが問題になっていましたが、
やはりみんな、きちんとわきまえてるんだなと感心しました。
・・・ま、そもそも買い占めるような商品ないんですけどね。
それではお休みなさい。明日はガイダンスですー。みんなに会えるのが楽しみだ。
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