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心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(徒然草)
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こんばんは。紫遠です。

昨日の夕方にアパートへ戻ってきました。
まさかこんな長期にわたる帰省になるとは思っていなかったため、
まともに掃除も片付けもしないままだったので、
もしや虫でも沸いてるんじゃなかろうかと心配してましたが無事でした。
まだ3月だもんね。寒いもんね。虫が活動するにはちょっと早いもんね。安心。



さて。震災の日から半月ですね。
あまり時間が経ってしまうと私の残念な記憶力はいろいろ忘れていってしまうので、
被災中に書き留めていたメモをもとに、数日間の出来事を書いていきたいと思います。

まずは1日目。「つづきはこちら」からどうぞ。

 

1日目。


朝9時。父と姉が出勤した後の寝坊ぎみな起床。
朝食をとりながら母の出勤を見送る。
昼12時。妹が起床。私は昼食、妹は朝食兼昼食を一緒に食べる。
午後2時。妹は2階の自室でパソコン中。
私はリビングでコタツに入りながらDVD鑑賞中。
そういえばポットのお湯が無い、と、ヤカンに水を入れコンロにかける。
お湯が沸くのに時間がかかることを確かめ、DVDを一時停止してトイレへ。

午後2時46分。地震発生。

トイレの中で地震を感じていた私。
震度3ほどの横揺れがしばらく続き、のんきに「長いなー」と思っていた。
その長い揺れも弱まり、おさまるかと思いきや徐々に揺れが激しくなっていく。
やばい、と本能的に思った。
と同時に、トイレは柱同士が近く崩れにくい分安全だという思考も働いていた。
窓の花瓶が倒れた。ドアの上の戸棚の扉が開いた。便器の中の水がせり上がる。
体全体が揺さぶられて恐怖が募る。「止まって、止まって」とひたすらつぶやく。
他の部屋から何かが倒れる音、割れる音、さまざまな音が聞こえた。

ようやく揺れがおさまってきたところでトイレから出、妹の名前を叫んだ。
するとキッチンから妹の悲鳴が。
行くと妹は食器棚に手をついて立っており、扉を必死で押さえていた。
妹の周りには皿の破片が無数に散らばっている。
どういう状態かわからなかった。とりあえず妹に怪我はないか確認した。
コンロの火を尋ねると「消した」と言い、妹は「怖かった」とぼろぼろ泣き出した。

妹は地震の間に2階から階段を降りて1階へ来ては私を探し、
キッチンを見ると火がついていることに驚き急いで火を止め、
食器棚の扉が開いて皿が落ちて割れているのを見て、急いで扉を押さえたらしい。
私がトイレにいる間に妹はそんなことをしていたのかとびっくりした。
私は「ありがとう」と言って妹の頭をなでた。妹はまだ泣いていた。

キッチンも私がトイレに行くまでいたリビングも信じられないほど散らかっていた。
その様子を見て、とにかく家から出なくては、倒壊に巻き込まれてはいけないと思い、
しかし倒壊する前に貴重品や食料は運び出さなくてはという冷静な思考もはたらき、
貴重品の入った引き出しやペットボトル飲料を持って、妹と庭に飛び出した。

外から見た我が家もひどい有様だった。
瓦が剥がれ落ち、屋根の色が変わっている。
外壁のあちこちにヒビが入り、窓ガラスが割れている。
昨日私の久しぶりの帰宅を迎えてくれた家とは明らかに違っていた。

妹と2人で、必要なものを持ち出しては余震のたびに外へ飛び出すのを繰り返す。
こういうときに庭が広いのは得かもしれないと今更ながら思った。
ある程度持ち出すと、2人でラジオを聴きながら庭で待機。
恐らくこの時既に発生から1時間は経過していたと思う。

ちなみにこの間に両親と連絡を取ろうとしたが、電話もメールもつながらない。
相手が電話に出ないのではなく、つながらなかった。
電話をかけて「090」ぐらいまで発信すると切れた。
そのアクセス集中っぷりが、この地震がいかにひどいものかを思い知らせてくれたように思う。

しばらく庭で待機していると、スクーターに乗った祖母が登場。
祖母とともにまた庭で待機。
祖母と待機している間に両親と連絡がつき、互いの無事を確認した。

地震発生から2時間近くが経過した頃、母が帰宅。作業着のままだった。
母は見るも無残な姿になった我が家を見て絶句。しばらく立ち尽くしていた。
祖母を見送り、我に返った母と3人で再び荷物を運び出す。
既に運び出したものと新たに運び出したものをひたすら母の車に詰め込んだ。

発生から2時間以上経過した頃、姉が帰宅。
姉はこの地震に相当なショックを受けたらしく、話しかけても返事さえ無い。
荷物を運ぶ私と妹や、キッチンその他の片付けをする母の手伝いさえせず、
ただただ家の惨状を見ているだけだった。

この作業中も余震は絶え間なく続いた。
もはや揺れているときと揺れていないときが同じぐらいなのではと錯覚するほどに。
余震のたびに家の外へ飛び出すのを続けていた。
その間我が愛犬は、いつもならいないはずの家族が外にいることに喜んでいた。
明らかに「おやつがほしい」という顔だった。おやつはあげた。

午後6時になると辺りは暗くなり、4人で姉の車にいることにした。
車に何枚も毛布を持ち込み、夕食代わりの煎餅をむさぼった。
庭で用を足し、長い夜に備えた。

夜7時半頃。近所に住む伯父夫婦が来る。
伯父宅には先日建てたばかりの車庫兼物置小屋があり、
車で一晩過ごすのは大変だろうから、うちへ来ないかと言われたがみなで断った。
家族でいたほうがいいと思ったし、父がいつ帰ってくるかわからなかったから。

何時になっても眠れなかった。余震が続く。気温は氷点下になる。
金属の箱である車はその寒さを直に伝えてくる。
寒さに震え、余震に怯え、眠れないまま何もできずにただ夜明けを待つ苦痛は、
恐らく人生20年以上過ごしてきた中でトップに躍り出るのではというほどしんどかった。

車の中では座席に座った状態でいなければならず、
いくら体に毛布をかけても足元が冷える。足の指が腐るのではと思うほど痛かった。
余震のたびに車が揺れ、車酔いに似た気持ち悪さを感じ、外に出た。
停電で真っ暗闇の中に浮かぶ満天の星空は、綺麗を通り越し恐怖さえ覚えた。

長い、夜だった。







1日目はこんな感じですー


こんなぐっだぐだでよろしければ2日目以降も書いていきたいと思います。


それでは。明日は初の全員でのゼミ!みんな無事だよね。きっと。

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1989/07/10
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