こんばんは。紫遠です。
昨日書いた1日目の日記を見た枸からとても嬉しい感想をいただいたので、
2日目以降も張り切って書いてみようと思います。
2日目
寒さと恐怖と眠れなさのトリプルパンチで辛い中、日にちが変わった。
何もできないまま、ただ夜が明けるのをひたすら待った。
こんなにも時間は過ぎるのが遅いのか、と時計を呪った。
深夜1時頃、父が帰宅。
父は原子力関係の仕事をしているため、施設の確認をしなければ帰宅できなかったのだ。
さらに停電により信号が点かず道路は未曾有の渋滞。
道路には亀裂が走り、段差を無理矢理乗り越えて帰宅してきたらしい。
父は自分の車に毛布を持ち込み、一人で夜を過ごすことになった。
その後深夜2時頃までの記憶はあるが、後は覚えていない。
私はいつの間にか眠ってしまったらしかった。
朝6時半。目を覚ますと辺りはすっかり明るくなっていた。
こんなにも夜明けが嬉しいことがあっただろうか。
車から降りると、父が車庫にカセットコンロやテーブル、イスを持ち込み、
コンロでお湯を沸かしていた。
父はあの後一睡も出来ないまま夜明けを迎えたのだそう。
一晩経ち余震も続く中ではあったが、家がどうやら大丈夫そうだと判断し、
カセットコンロをキッチンへ持ち込み、朝食の準備をすることになった。
私がキッチンへ入ると、水の入った鍋やペットボトル、バケツなどがたくさん置いてある。
どうやら実家は近所の家よりも低い位置にあるため、
大本の太い水道管に残っている水が流れ込んでいるらしく、
現在水道管にたまっている分だけは使えるらしかった。
朝食は前日に炊いたごはんを炒めて作ったチャーハン。
カセットコンロの火力では充分に炒められないのでべしゃべしゃだった。
補足。我が家のガスはプロパンガスなのでガス自体は使えるはずだったが、
コンロでの着火が電気によるものなので、電気が回復しなければコンロは使えない。
着火をチャッ○マン(正式名称は知らない)で試したがダメだった。
午前中は家の中の片付け。倒れたタンスを戻したり、散らかったものを片付けたり。
また、前日に母の車へ持ち込んだ荷物を家の中へ戻したりした。
改めて家から持ち出した荷物を見てみると、いかに思考が混乱していたかがわかる。
例えばティッシュ。5箱入りの袋を4つ持ち出していたり。
絆創膏や傷薬だけでなく風邪薬や胃腸薬まで持ち出していたり。
片付けをしながら、当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないことを思い知らされた。
手を洗おうと何気なく蛇口をひねって、わずかしか出ない水にハッとしたり。
奥の部屋で片付けをする父に対し母が「暗いね、電気(照明)つける?」と言ったり。
普段とは違うってことを改めて思い知らされた。
そしてそれに対し、これが夢であったなら、ととにかく思った。
夜を過ごした姉の車から毛布を運び出すと、毛布がびしょびしょに濡れている。
原因は結露。外は氷点下なのに人が4人も車の中にいたせいだった。
幸いなことに空は快晴だったため、物干し竿にずらりと毛布を並べて干した。
窓や壁、座席にまで垂れた水滴を、姉は神妙な顔をしてぬぐっていた。
昼食はインスタントラーメン。具はもやしと冷凍のタケノコの煮付け。
昼食後、姉は避難所の炊き出しを手伝いに出かけた。
公務員である姉は朝から気にはなっていたそうだが、なかなか出かけられずにいたらしい。
私たちは引き続き、家の中の片付けを行った。
ある程度片付けた後、家族5人分の布団をリビングにすくことにした。
リビングならば強い余震が来ても、玄関とキッチンという出入り口が近く逃げやすいからだ。
また、家族全員が同じ部屋にいたほうが互いの安全も確認しやすいというのもあった。
途中、父が車のバッテリーからコードでテーブルタップにつなぎ、
ちょっとの電気なら使えるようにしてくれたので、携帯の充電をさせてもらった。
その後父がテレビのコンセントをつないだら、車のヒューズが切れた。
車の説明書を片手にボンネットを開く父の姿が寂しげであった。
午後5時。暗くなる前にと急いで夕食をとる。
夕食は朝食のチャーハンの余りとホットケーキと餅だった。
妹は1時間かけて地道に1枚ずつ、カセットコンロでホットケーキを焼いていた。
午後6時をまわると辺りは真っ暗になり、何も作業ができなくなり、
それぞれの枕元に懐中電灯を置き、布団の中に入ることにした。
なかなか眠れない。寝転ぶとより余震の揺れが感じられるせいもあった。
うとうとしては揺れに起こされるのを繰り返す。
さらに日中に毛布を干したせいで花粉が付着していたらしく、
鼻水が止まらないため余計に眠れない。
次第に喘息の発作も起き始め、鼻水と発作での苦しさで気を失うように寝た。
2日目はこんな感じですかねー。
ちなみに寝るときはすぐ避難できるようにとパジャマではなく服を着込んで寝てました。
服を着て寝るのとリビングで寝るのは数日前まで続いてました。
私がたかつき宅に泊まった日、リビングにすきっぱなしだった布団を初めてあげたら、
私が寝ていたところのフローリングだけカビてたらしいです。
それからはもうリビングで寝るのはやめようということになり、
私が帰宅すると普段のように畳の六畳間に私の布団がすかれていました。
そんな後日談。
それではお休みなさい。しばらく暇な日が続きます。つまらないなー・・・
昨日書いた1日目の日記を見た枸からとても嬉しい感想をいただいたので、
2日目以降も張り切って書いてみようと思います。
2日目
寒さと恐怖と眠れなさのトリプルパンチで辛い中、日にちが変わった。
何もできないまま、ただ夜が明けるのをひたすら待った。
こんなにも時間は過ぎるのが遅いのか、と時計を呪った。
深夜1時頃、父が帰宅。
父は原子力関係の仕事をしているため、施設の確認をしなければ帰宅できなかったのだ。
さらに停電により信号が点かず道路は未曾有の渋滞。
道路には亀裂が走り、段差を無理矢理乗り越えて帰宅してきたらしい。
父は自分の車に毛布を持ち込み、一人で夜を過ごすことになった。
その後深夜2時頃までの記憶はあるが、後は覚えていない。
私はいつの間にか眠ってしまったらしかった。
朝6時半。目を覚ますと辺りはすっかり明るくなっていた。
こんなにも夜明けが嬉しいことがあっただろうか。
車から降りると、父が車庫にカセットコンロやテーブル、イスを持ち込み、
コンロでお湯を沸かしていた。
父はあの後一睡も出来ないまま夜明けを迎えたのだそう。
一晩経ち余震も続く中ではあったが、家がどうやら大丈夫そうだと判断し、
カセットコンロをキッチンへ持ち込み、朝食の準備をすることになった。
私がキッチンへ入ると、水の入った鍋やペットボトル、バケツなどがたくさん置いてある。
どうやら実家は近所の家よりも低い位置にあるため、
大本の太い水道管に残っている水が流れ込んでいるらしく、
現在水道管にたまっている分だけは使えるらしかった。
朝食は前日に炊いたごはんを炒めて作ったチャーハン。
カセットコンロの火力では充分に炒められないのでべしゃべしゃだった。
補足。我が家のガスはプロパンガスなのでガス自体は使えるはずだったが、
コンロでの着火が電気によるものなので、電気が回復しなければコンロは使えない。
着火をチャッ○マン(正式名称は知らない)で試したがダメだった。
午前中は家の中の片付け。倒れたタンスを戻したり、散らかったものを片付けたり。
また、前日に母の車へ持ち込んだ荷物を家の中へ戻したりした。
改めて家から持ち出した荷物を見てみると、いかに思考が混乱していたかがわかる。
例えばティッシュ。5箱入りの袋を4つ持ち出していたり。
絆創膏や傷薬だけでなく風邪薬や胃腸薬まで持ち出していたり。
片付けをしながら、当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないことを思い知らされた。
手を洗おうと何気なく蛇口をひねって、わずかしか出ない水にハッとしたり。
奥の部屋で片付けをする父に対し母が「暗いね、電気(照明)つける?」と言ったり。
普段とは違うってことを改めて思い知らされた。
そしてそれに対し、これが夢であったなら、ととにかく思った。
夜を過ごした姉の車から毛布を運び出すと、毛布がびしょびしょに濡れている。
原因は結露。外は氷点下なのに人が4人も車の中にいたせいだった。
幸いなことに空は快晴だったため、物干し竿にずらりと毛布を並べて干した。
窓や壁、座席にまで垂れた水滴を、姉は神妙な顔をしてぬぐっていた。
昼食はインスタントラーメン。具はもやしと冷凍のタケノコの煮付け。
昼食後、姉は避難所の炊き出しを手伝いに出かけた。
公務員である姉は朝から気にはなっていたそうだが、なかなか出かけられずにいたらしい。
私たちは引き続き、家の中の片付けを行った。
ある程度片付けた後、家族5人分の布団をリビングにすくことにした。
リビングならば強い余震が来ても、玄関とキッチンという出入り口が近く逃げやすいからだ。
また、家族全員が同じ部屋にいたほうが互いの安全も確認しやすいというのもあった。
途中、父が車のバッテリーからコードでテーブルタップにつなぎ、
ちょっとの電気なら使えるようにしてくれたので、携帯の充電をさせてもらった。
その後父がテレビのコンセントをつないだら、車のヒューズが切れた。
車の説明書を片手にボンネットを開く父の姿が寂しげであった。
午後5時。暗くなる前にと急いで夕食をとる。
夕食は朝食のチャーハンの余りとホットケーキと餅だった。
妹は1時間かけて地道に1枚ずつ、カセットコンロでホットケーキを焼いていた。
午後6時をまわると辺りは真っ暗になり、何も作業ができなくなり、
それぞれの枕元に懐中電灯を置き、布団の中に入ることにした。
なかなか眠れない。寝転ぶとより余震の揺れが感じられるせいもあった。
うとうとしては揺れに起こされるのを繰り返す。
さらに日中に毛布を干したせいで花粉が付着していたらしく、
鼻水が止まらないため余計に眠れない。
次第に喘息の発作も起き始め、鼻水と発作での苦しさで気を失うように寝た。
2日目はこんな感じですかねー。
ちなみに寝るときはすぐ避難できるようにとパジャマではなく服を着込んで寝てました。
服を着て寝るのとリビングで寝るのは数日前まで続いてました。
私がたかつき宅に泊まった日、リビングにすきっぱなしだった布団を初めてあげたら、
私が寝ていたところのフローリングだけカビてたらしいです。
それからはもうリビングで寝るのはやめようということになり、
私が帰宅すると普段のように畳の六畳間に私の布団がすかれていました。
そんな後日談。
それではお休みなさい。しばらく暇な日が続きます。つまらないなー・・・
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