こんばんは。紫遠です。
今日は春学期が始まる最初のガイダンスでした。
久々にみんなに会えて嬉しかったなー。あまり喋れなかったのが悔やまれる。
そして春といえば新作アニメですよねー。今は片っ端から1話見てる段階です。
毎年春は豊作だって言われてますけど、今年もかなり期待ですよぐへへ。
そんなこんなで例の如く、記録を残していきますかねー。
<7日目>
朝食は前日に焼いたパン、炊き込みご飯の残り、コーンスープ。
このコーンスープは夏に収穫したトウモロコシをミキサーでつぶして冷凍しておいたものです。
この日は平日ながらも父が仕事を休み、母と2人で屋根のビニールシート張りをしてました。
これまで幾度か「ビニールシート張り」という作業を書いたと思うのですが、
例えばブルーシートの大きさが足りないとか、ガムテープが足りないとか、
強風にあおられてブルーシートが外れてしまったなどなどの理由もあり、
なかなか1回では終わらない作業だったんですよね・・・。大変だ。
それにしても屋根に人がいるときの余震はガチでビビる。
昼食はさらに焼いたパン、炊いたご飯。
強力粉が広告の品として安く売られていたときに大量買いしたおかげで、
パンを焼くのにはしばらく困りませんでした。
午前か午後かは覚えてないのですが、この日ハッチから物資が届きました。
ぐりに写真を載せた通りのものです。感謝感謝。
夕食はご飯、シャケのホイル焼き。妹特製。
前日に買ったしいたけが大量に入っていて美味でした。
<8日目>
朝食はレタスと卵を入れたサンドイッチ、ご飯、いなり寿司。
いなり寿司は前日に姉が持ち帰ってきてくれたものです。本当にありがたい。
午前中に妹と2人で自転車をこいでスーパーとホームセンターへ。
ホームセンターでは犬のエサとコーキング剤(壁のヒビに充填するシリコン製のもの)を購入。
なかなかコーキングガンを持ってる人なんていないから売ってるだろうと思ってたら、
白色のコーキング剤は見事に売り切れでした。みんなDIY好きだなぁ・・・
犬のエサは、こういうときぐらい年齢に見合ったものを買ってあげようと思い、
7歳からの~という餌を買っていったら、父に間違って買ってきたのかと思われたらしい。
父に「リュウだって今年で8歳だよ?」って言ったら驚いてたので、
多分父はうちの子の年齢を知らなかったんじゃないかと思います。
スーパーでは食料をちょこっとずつ購入。
もやしが大量に売られていたのでもやしを4袋も買った覚えがあります。
また、レジがとても混んでいて、30分ぐらい並びました。げんなりです・・・
しかし2日前に来たときとは客層がすっかり変わっていたのに驚きました。
2日前は着の身着のまま、スウェットでもなんでもという感じだったのに、
今回はきれいな服を着て、化粧した人も見かけるほどに。
たった2日間でこんなにも変わるのか、とびっくりです。
帰宅して昼食。昼食はご飯のみ。漬物やふりかけなどで食べました。
午後からもう1度妹と2人で自転車でホームセンターへ。
今度は灯油を買いに行きました。18Lを1人1本ずつ。
灯油はストーブはもちろん、風呂を沸かすボイラーにも使うので無くなると困るんです。
行きは良かったのですが、帰りはずっと自転車を押して帰ったので大変でした。
そんなことをしている間に地震から丸1週間が経ちました。
確かに考えてみたら、日本は特に復旧の早い国なのかもしれません。
たった1週間で電気も水道も元に戻ったわけですしね。
あちこちで1週間経った午後2時46分に黙祷をしていたらしいですが、
残念ながらその時間は自転車に乗ってました・・・。ご冥福をお祈りします。
しかし自転車で2往復はなかなかに身体にこたえましたねー。
距離としては自転車で20分ぐらいなのですが、
いかんせん実家が山の上なせいで、坂道が多いのなんの。道の半分坂ですよ。
行きはよいよい帰りはこわい。こわいって茨城弁で「疲れる」って意味なのでまんまですよ。
そんな坂道を18L灯油タンク積んだ自転車押すんですから、
そりゃあもう疲れますよね・・・もう二度とやるもんか。
夕食は乾麺を茹でてうどんに。葉ねぎが畑にあるのでねぎのお汁です。
我が家では玉ねぎを成長させたねぎのことを「葉ねぎ」と呼ぶのですが、
正確には何て言うんでしょうね。そもそも玉ねぎを成長させないのか。
<9日目>
朝食はご飯、パン、夕食の残りのうどん。
何もしない生活。だらだら生活です。
昼食はもやしを入れたインスタントラーメン。
午後、ハッチから2つも物資が届きました。
ドッグフードやレトルト食品などなど。大助かりです本当にありがとうございました。
夕食はカレーライス。
夕食後に入浴していると、強めの余震が。震度5弱でした。
お湯をはった浴槽の中にいると重力がきかない分全然揺れを感じませんでした。
その代わり、棚の洗顔フォームとかいろいろ倒れたり、ボイラーが自動停止したりして、
それらを見て、あー結構大きな地震だったんだなーと思ってました。
しかしもしそれがもっと強い地震で、家が傾いて避難しなきゃということになったら、
私は全裸で家を飛び出さなきゃならなかったのかしら、と今更思います。
その5弱の地震に対し、ハッチが電話をかけてきてくれました。ありがとう大丈夫でした。
とまぁこんな感じで9日目まで。
なんかこの後は食事日記みたいになっていくのでそろそろ終わりにします。
10日目は午後に父とまた自転車で買い物に行ったり。
テロテから電話が来てハッスルしたり。
11日目には枸からダンボール2箱も物資が届いてひゃっほうってしたり、
それに対して思わず電話をかけたら枸にとても驚かれたり。
12日目には実家にあるDVDを見て、PTSD自覚したり。
13日目には何も無く、14日目には企業の面接に出かけて、たかつき宅にお泊り。
こんな感じで生活してました。
しかし被災後の食事をずらずら書いてみましたが、ほんっと酷いですね。
とにかく野菜も魚も肉も手に入らないので、ひたすら炭水化物な生活でした。
そのせいかお通じが悪いのなんの。出るけど尻がとても痛かったです。
あと、9日目の新聞のコラムで紹介されていた詩の一部を紹介します。
全国紙なので多分読んだ人たくさんいるとは思いますが。和訳されたものです。
失意の胸へは
だれも踏み入ってはならない
自身が悩み苦しんだという
よほどの特権を持たずしては
・・・と続くらしいのですが、これを見てぐさっと来ましたね。
少なからず他の人に「わかってたまるか」と思っていた自分に気づかされて。
東北ではもっと苦しんでる人たちがいるのに、
自分も被害を受けたんだ、この苦しみを誰がわかるかと思ってた自分がいて、
それに気づいたとき、なんて自分は小さな人間なんだろうと思いました。
やらない善よりやる偽善と言うけれど、
その偽善も受け取り側が「わかってたまるか」と思わずにありがたく受け取れば、
偽善じゃなく善にもなりえるんじゃないかなーと思います。
この詩が紹介されたコラムを見るまでは、私本当に何もかもにイライラしてました。
テレビやネットで知ったかぶりして役に立たない知識や情報振りかざして、
さも自分の知識や情報が人の役に立つんだぜーなんていう態度とかしてる奴らもいて。
お前らに何が分かる、被災経験もないくせに偉そうなこと言うなと思ってました。
けど、そんな人たちも、例え下心があっても、
多少は人のためにと思ってそういう行動をしているのだと思うと、
役に立たなくても、偽善でも、ありがたく受け取ろう、と思えるようになりました。
いっぱいいっぱいな時でも、心にゆとりを持てるように心がけよう、と思えた経験でした。
これで被災日記は終わりです。
たいした被災じゃないかもしれませんが、ちょっとでも状況を知ってもらえればと思います。
それではお休みなさい。明日は罹災証明云々について大学の事務に殴りこみに行ってきます。
今日は春学期が始まる最初のガイダンスでした。
久々にみんなに会えて嬉しかったなー。あまり喋れなかったのが悔やまれる。
そして春といえば新作アニメですよねー。今は片っ端から1話見てる段階です。
毎年春は豊作だって言われてますけど、今年もかなり期待ですよぐへへ。
そんなこんなで例の如く、記録を残していきますかねー。
<7日目>
朝食は前日に焼いたパン、炊き込みご飯の残り、コーンスープ。
このコーンスープは夏に収穫したトウモロコシをミキサーでつぶして冷凍しておいたものです。
この日は平日ながらも父が仕事を休み、母と2人で屋根のビニールシート張りをしてました。
これまで幾度か「ビニールシート張り」という作業を書いたと思うのですが、
例えばブルーシートの大きさが足りないとか、ガムテープが足りないとか、
強風にあおられてブルーシートが外れてしまったなどなどの理由もあり、
なかなか1回では終わらない作業だったんですよね・・・。大変だ。
それにしても屋根に人がいるときの余震はガチでビビる。
昼食はさらに焼いたパン、炊いたご飯。
強力粉が広告の品として安く売られていたときに大量買いしたおかげで、
パンを焼くのにはしばらく困りませんでした。
午前か午後かは覚えてないのですが、この日ハッチから物資が届きました。
ぐりに写真を載せた通りのものです。感謝感謝。
夕食はご飯、シャケのホイル焼き。妹特製。
前日に買ったしいたけが大量に入っていて美味でした。
<8日目>
朝食はレタスと卵を入れたサンドイッチ、ご飯、いなり寿司。
いなり寿司は前日に姉が持ち帰ってきてくれたものです。本当にありがたい。
午前中に妹と2人で自転車をこいでスーパーとホームセンターへ。
ホームセンターでは犬のエサとコーキング剤(壁のヒビに充填するシリコン製のもの)を購入。
なかなかコーキングガンを持ってる人なんていないから売ってるだろうと思ってたら、
白色のコーキング剤は見事に売り切れでした。みんなDIY好きだなぁ・・・
犬のエサは、こういうときぐらい年齢に見合ったものを買ってあげようと思い、
7歳からの~という餌を買っていったら、父に間違って買ってきたのかと思われたらしい。
父に「リュウだって今年で8歳だよ?」って言ったら驚いてたので、
多分父はうちの子の年齢を知らなかったんじゃないかと思います。
スーパーでは食料をちょこっとずつ購入。
もやしが大量に売られていたのでもやしを4袋も買った覚えがあります。
また、レジがとても混んでいて、30分ぐらい並びました。げんなりです・・・
しかし2日前に来たときとは客層がすっかり変わっていたのに驚きました。
2日前は着の身着のまま、スウェットでもなんでもという感じだったのに、
今回はきれいな服を着て、化粧した人も見かけるほどに。
たった2日間でこんなにも変わるのか、とびっくりです。
帰宅して昼食。昼食はご飯のみ。漬物やふりかけなどで食べました。
午後からもう1度妹と2人で自転車でホームセンターへ。
今度は灯油を買いに行きました。18Lを1人1本ずつ。
灯油はストーブはもちろん、風呂を沸かすボイラーにも使うので無くなると困るんです。
行きは良かったのですが、帰りはずっと自転車を押して帰ったので大変でした。
そんなことをしている間に地震から丸1週間が経ちました。
確かに考えてみたら、日本は特に復旧の早い国なのかもしれません。
たった1週間で電気も水道も元に戻ったわけですしね。
あちこちで1週間経った午後2時46分に黙祷をしていたらしいですが、
残念ながらその時間は自転車に乗ってました・・・。ご冥福をお祈りします。
しかし自転車で2往復はなかなかに身体にこたえましたねー。
距離としては自転車で20分ぐらいなのですが、
いかんせん実家が山の上なせいで、坂道が多いのなんの。道の半分坂ですよ。
行きはよいよい帰りはこわい。こわいって茨城弁で「疲れる」って意味なのでまんまですよ。
そんな坂道を18L灯油タンク積んだ自転車押すんですから、
そりゃあもう疲れますよね・・・もう二度とやるもんか。
夕食は乾麺を茹でてうどんに。葉ねぎが畑にあるのでねぎのお汁です。
我が家では玉ねぎを成長させたねぎのことを「葉ねぎ」と呼ぶのですが、
正確には何て言うんでしょうね。そもそも玉ねぎを成長させないのか。
<9日目>
朝食はご飯、パン、夕食の残りのうどん。
何もしない生活。だらだら生活です。
昼食はもやしを入れたインスタントラーメン。
午後、ハッチから2つも物資が届きました。
ドッグフードやレトルト食品などなど。大助かりです本当にありがとうございました。
夕食はカレーライス。
夕食後に入浴していると、強めの余震が。震度5弱でした。
お湯をはった浴槽の中にいると重力がきかない分全然揺れを感じませんでした。
その代わり、棚の洗顔フォームとかいろいろ倒れたり、ボイラーが自動停止したりして、
それらを見て、あー結構大きな地震だったんだなーと思ってました。
しかしもしそれがもっと強い地震で、家が傾いて避難しなきゃということになったら、
私は全裸で家を飛び出さなきゃならなかったのかしら、と今更思います。
その5弱の地震に対し、ハッチが電話をかけてきてくれました。ありがとう大丈夫でした。
とまぁこんな感じで9日目まで。
なんかこの後は食事日記みたいになっていくのでそろそろ終わりにします。
10日目は午後に父とまた自転車で買い物に行ったり。
テロテから電話が来てハッスルしたり。
11日目には枸からダンボール2箱も物資が届いてひゃっほうってしたり、
それに対して思わず電話をかけたら枸にとても驚かれたり。
12日目には実家にあるDVDを見て、PTSD自覚したり。
13日目には何も無く、14日目には企業の面接に出かけて、たかつき宅にお泊り。
こんな感じで生活してました。
しかし被災後の食事をずらずら書いてみましたが、ほんっと酷いですね。
とにかく野菜も魚も肉も手に入らないので、ひたすら炭水化物な生活でした。
そのせいかお通じが悪いのなんの。出るけど尻がとても痛かったです。
あと、9日目の新聞のコラムで紹介されていた詩の一部を紹介します。
全国紙なので多分読んだ人たくさんいるとは思いますが。和訳されたものです。
失意の胸へは
だれも踏み入ってはならない
自身が悩み苦しんだという
よほどの特権を持たずしては
・・・と続くらしいのですが、これを見てぐさっと来ましたね。
少なからず他の人に「わかってたまるか」と思っていた自分に気づかされて。
東北ではもっと苦しんでる人たちがいるのに、
自分も被害を受けたんだ、この苦しみを誰がわかるかと思ってた自分がいて、
それに気づいたとき、なんて自分は小さな人間なんだろうと思いました。
やらない善よりやる偽善と言うけれど、
その偽善も受け取り側が「わかってたまるか」と思わずにありがたく受け取れば、
偽善じゃなく善にもなりえるんじゃないかなーと思います。
この詩が紹介されたコラムを見るまでは、私本当に何もかもにイライラしてました。
テレビやネットで知ったかぶりして役に立たない知識や情報振りかざして、
さも自分の知識や情報が人の役に立つんだぜーなんていう態度とかしてる奴らもいて。
お前らに何が分かる、被災経験もないくせに偉そうなこと言うなと思ってました。
けど、そんな人たちも、例え下心があっても、
多少は人のためにと思ってそういう行動をしているのだと思うと、
役に立たなくても、偽善でも、ありがたく受け取ろう、と思えるようになりました。
いっぱいいっぱいな時でも、心にゆとりを持てるように心がけよう、と思えた経験でした。
これで被災日記は終わりです。
たいした被災じゃないかもしれませんが、ちょっとでも状況を知ってもらえればと思います。
それではお休みなさい。明日は罹災証明云々について大学の事務に殴りこみに行ってきます。
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