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心に移りゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。(徒然草)
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こんばんは。紫遠です。

なんだか暇です。今日1日だらだら過ごしてしまいました。
明日こそは掃除したりしよう。そうしよう。



さてさて。忘れないうちに被災3日目の日記でも書きましょうかねー。



3日目


朝6時過ぎの頃に起床。キッチンに置いた石油ストーブでお湯を沸かしたりする。
朝食は前日の残りであるホットケーキと餅。
電子レンジが使えないので、カセットコンロとフライパンで温めた。

朝、朝刊が前日の分と一緒に届いた。
1面には津波によって流され、がれきの山と化した町の写真が大きく載せられており、
私はそれを見て初めて、被害がどれほどひどかったのかを知った。
私たちも被災者だけれど、もっとひどい被害を受けた人たちがいるんだということを知った。
とても、怖かった。

姉は前日同様、朝から炊き出しの手伝いへ。

朝食後は屋根の瓦の片付けおよびシート張り。
まず、父がハシゴで屋根にのぼり、ロープにつないだバケツの中へ割れた瓦を入れて下ろし、
下で私や妹が受け取って中身を捨てる、という作業を繰り返した。
瓦はどうやら2階の屋根から落ちた瓦が1階の瓦を割ってしまったようで、
1,2階ともにあちこちで瓦が割れて無くなってしまっていた。
損傷部分がきれいになった後、瓦の無い部分に合わせてシートを切り、
周りの瓦の下に埋め込むようにしてシートを入れた。
安全のため、そして装備のために屋根には父しかのぼれず、
父が屋根の上で作業しているのを私たちは下から見守ることしかできなかった。

また、母が手洗いで下着や靴下、タオルなどを洗ってくれた。
私はそれを庭に干した。1人暮らし3年目にして母から干し方のダメ出しをされた。

昼食は土鍋で炊いたご飯。ふりかけや梅干しで食べる。おかずは無い。

昼食後も屋根の補修が続いた。
午前中は1階部分の屋根だったが、午後からは2階部分の屋根の補修。
父はヘルメットと命綱を着け、ハシゴをむりやり2階のベランダにくくりつけて屋根にのぼった。
午前中にも午後にも余震が続く。父にとってはとても危険な作業だったが、
次の日から雨が降る予報が出ていることに加え、
次の日には父も出勤しなければならなかったため、
本日中になんとか屋根にビニールシートを張らなければならなかったのだ。

しかし父の持っている道具の多さには驚かされた。
ヘルメット、ロープ、長靴(滑り止めのもの)、シート、よくわからない金具。
屋根にのぼるために使ったハシゴも業務用脚立もまず一般の家には無いと思われる。
こんな父でよかったと私や母が階下からほめていたのを父は知っていたのだろうか。

今水道管にたまっている水もいつ出なくなるかわからなかったので、
母が浴槽をきれいに洗い、浴槽に水を溜めた。
溜め終わっても出るようだったので、それ以上出さずにそのままにした。

午後5時。夕食は土鍋で炊いたご飯に、つみれ汁。
つみれは冷凍してあったもので、停電により溶けてしまったので使用した。
熱々の汁物をすすると、とてもホッとした気分になれた。

午後6時過ぎ。辺りは真っ暗に。誰かが「街に電気が来てるよ!」と言った。
姉妹3人で2階の窓から街を見下ろすと、ネオンや信号の光が見えた。
きらきら光る街。普段見慣れていたはずなのに、このときばかりは感動した。

街が、戻ってきた。

午後8時ごろ。姉が目の前にあったDVDプレーヤーの画面がついたことに気がついた。
照明のスイッチを入れると、明かりがついた。電気が復旧したのだった。
さっそくテレビをつけると、どのチャンネルも津波の被害を伝えていた。
新聞を見ても驚いたが、映像で見るとよりその惨状がわかる。ゾッとした。

父も姉も次の日は出勤なので、せめて2人だけでも、と風呂を沸かした。
我が家のボイラーはガスではなく灯油なので、電気さえ使えれば風呂は使える。
父と姉、そして妹が風呂に入ったが、私の番が回ってくる頃には私は寝てしまっていた。





3日目はこんな感じでした。・・・そろそろつまらなくなってきたぞ内容が。

4日目以降はこんなに書かずにかなり省略すると思います。
多分そのうち日にちとか分けずにまとめみたいにして書くと思います。





補足をいくつか。

水が出ないので風呂もトイレも使えませんでした。
トイレは使ったあと流さずに溜めて、ある程度になったら一気に流してました。
我が家には浄化槽があるので、まぁ少しぐらいながしても大丈夫か、と。
しかしトイレに入って便器の中がキレイでないというのは、なんとも嫌なものでしたねー・・・
血のつながった家族なんだから、と言われても、ねぇ・・・

新聞の記事には、便座の中にビニール袋を張り、水分を吸わせる紙類を入れ、
その中に用を足して、ビニール袋を取り外してゴミとして処理するというやり方が紹介されていました。
なるほどこれはいい方法だと感心してましたが実践はしませんでした。
テレビに出ていた専門家は、「バケツに水をくんで流せ」と言っていましたが、
言わせてもらうと流す水がもったいなくて使えないんですよ。バケツ一杯の水なんて・・・

まあ飲用水じゃない水は手に入れやすいのでなんとかなるのかもしれませんけど。
避難所が学校であれば、プールの水が使えるだろうし。
我が家でも、鉢植え用に雨水を大量に溜めてるのでそれが使えましたし。
地域の人たちは近くを流れる川へ水を汲みに行っていたそうですよ。

風呂ですが、服や下着は2日に1回程度取り替え、
こまめに制汗シートで体を拭くようにしていました。
しかし夜には気温が氷点下になる時期に制汗シートを使うのはなかなか辛かったですよ。
アルコールのせいでとにかく冷たかった。肌に触れた瞬間びくってしますからね。

髪は本当にひどかった。1番どうしようもなかったですし。
頭皮の脂はあぶらとり紙を使ってこまめに除去するようにはしていましたが、
それでは髪のべたつきは取り除けないので。
髪って、べたつきを通り越すとぱっきぱきになるっていうことを初めて知りました。
脂が乾燥するのかなんなのか。脂なのに乾燥するってどういうことか分かりませんが。
本当に髪がぱっきぱきになるんですよ。びっくりですよ。もはやべたつかない。固まる。

アパートにある「水のいらないシャンプー」が手元にあったならと恨みましたよね本当。
高速バスが復旧したと聞いたときには、アパートまで取りに行こうかと思いましたしwww


思うのが、被災したのが真夏でなくてよかったな、ということ。
汗で体臭がひどいことになるだろうし、水が貴重な中飲み水を多量に摂取するのも難しいし。
なにより津波の地域で赤痢とか発生しちゃう恐れもありますしね。

もちろん、起こらないことが一番ですけどね。
・・・起こらないのもそれはそれで怖いのか。







それではお休みなさい。

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1989/07/10
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