おはようございます。紫遠です。
昨日突然「明日実家帰ろう」と思い立って、というかゼミや実験の予定が空くことが昨日決定したので、
実家にお土産を置きに行かなきゃとも思っていたので、うん、帰ります。
向こうには3日間くらいしかいないんですけどね。
またすぐゼミとか実験とかがあるので、さっさかアパートに戻ってきます。
というわけで、忘れないうちに旅行についてを更新しておきますー
<9月30日(金) 旅行3日目> 長崎観光するよ!
起床後、前日同様コンビニへ朝食を買いにしばしの散歩。
レジ担当していた店員さんが、私が出した1万円にお釣りを出そうとして、
最後の1枚の5000円札がちょっと汚れているのに気付き、1000円札9枚で返してくれました。
おお、汚れとか気付かなかったけど、ちゃんと気にしてくれる店員さんすげぇ!とか思ってました。
朝8時にチェックアウト。先輩はおそらくまだ熟睡中。さよなら先輩。
長崎駅から2駅先のフェリーターミナルへ向かいます。
フェリーに乗る?いいえ、違います。
目的地はそう・・・
パンフレット&チケット。
見捨てられた廃墟の島、 軍 艦 島 です!
いやー1度行ってみたかったんですよねー。
最近になって一部が整備されて上陸ができるようになったんですよ。
で、さっそく船に乗り込み、2階席で雨風と波しぶきをもろに浴びながら島を目指します。
ちょwww前日雨ひどかったけど今日もなかなか雨ひどいwww波高いwwwww
2階席にいた7割ぐらいの人が途中で室内の1階席に避難しました。
や、私はいつまでも雨と波しぶき浴びてましたけどねwwwびしょびしょwwwww
もうすぐ軍艦島が見えてきますよーという放送に目をキラキラさせていたら、
目の前にある、くじらみたいな形をした緑の茂る島(中ノ島というそうですが)の奥から、
暗くおどろおどろしい島が、静かに、そしてゆっくりと現れたんですよ!
この光景の衝撃は私のボキャ貧具合では表現しきれないんですけど、
それはもう、鳥肌立ちっぱなしなぐらい、恐ろしく、また感動的な瞬間だったんですよ。
で、いざ上陸ーとなったのですが、どうやら大潮のせいで潮位が高い。
波としてはそこまでじゃないのに、階段にまで波がかかっているらしく。
先に上陸した船員さんが、しばらく首ひねったり肩すくめたりして悩んでたんですが、
結局、安全を考慮ってことで、上陸は不可、周遊して帰りましょうとなりました。
うわああああああ悔しいあああああああ! ここまで来て上陸できないとかあああああ!
・・・まあ、上陸なんて1年のうち100日ぐらいしかできないって話なので、仕方ないのかもです。
というわけで、周遊中に撮影した軍艦島の様子です。
桟橋に近づくまでの軍艦島。これがどーんと現れたときの衝撃は異常。
高台にあるアパート。上の写真側から見て1番目立つ建物かも。
上のアパート近くにある小さな祠。木製の建物で残っている貴重なもの。
ここからが一番軍艦っぽいらしい。1番有名な角度。
アパート群。奥に祠が見えます。左端の緑の建物は病院です。
ここに人が住んでたんだよなぁ・・・と思うと、何ともいえない気持ちになります。
ここには載せてませんが、もっとさまざまな建物がこの島には残っています。
小中学校も、グラウンドも、プールも、映画館も、床屋、郵便局、炭鉱跡や管理施設もあります。
本当に最近までここで人が暮らしていたんだって思うと、すごいなぁと思います。
とある子に、軍艦島に行ったんだという話をしたら「そこって心霊スポットなんでしょ?」と言われました。
なんで廃墟ってだけで心霊スポットとか言われちゃうんだろう。
別にこの島の住民全員が突然壮絶な死を遂げて、誰も立ち入らない島になったとかじゃなく、
鉱山が閉鎖されるから、じゃあ本土に戻ろうかってなっただけじゃないですか。
うーん・・・みんなの認識って怖い。
この軍艦島で人が生活していたときの話とか聞くと面白いですよ。
かつて三種の神器と呼ばれた家電が日本で普及率20%とかのときに、この島では100%だったとか、
島には火葬できる施設が無かったから、近くの島の火葬施設まで運んで火葬してもらったとか、
病院には隔離病棟もあるけど、医療はかなり充実していたとか。
そんなわけでぐるりと島を巡ったあと、全員1階席へ移動させられ、
室内で軍艦島についてビデオ上映をしてましたが、私は酔うのでデッキにいました。
その時に少し話をしたおじいちゃん船員さん。
静岡の××から来たーって話をしたら、××で勢力を誇る某企業の貨物船に14年乗ってたと言われびっくり。
前○○に住んでたーとか言われたんですがもろ近所なんで す け ど !
前日に水戸出身の方に会ったり、なんていうか、世間って狭いですねー・・・
軍艦島周遊ツアーを終え、島のコンクリート片の入ったストラップ(笑)をもらい、
近くのショッピングモールのようなところで昼食をとりました。
2度目のトルコライスーと思ったので す が
商品名 「秋のトルコライス」
なんかトルコライス迷走してるうああああああ!!!!!
栗&山菜ごはんに、きのこの和風スパゲティ、極めつけはチキン南蛮って!
山菜ごはんにタルタルソースがかかって何とも微妙な味だったよ!
昼食後に歩いて出島へ。正直行く予定は無かったけど、先生が行ってこいとうるさいのd(ry
とりあえず、江戸時代のかつての街並みが再現されてて、テーマパークみたいになってました。
出土品とかが展示されてて面白かったです。様々な陶器類とかさびっさびの拳銃とかwww
修学旅行生が「昔のバドミントン」なるもので遊んでて楽しそうだったwww
出島を出たあとは路面電車で長崎原爆資料館へ行きました。
いたるところに千羽鶴があるし、入るといきなり投下時間で止まった、ぼろぼろの時計とかがあり、
何でガラスもせとものも溶けてるの!?瓦がぼこぼこになるってどういうこと!?
熱線で影が残ってる・・・ケロイドになった写真・・・ボロボロの服・・・
最初から最後まで鳥肌立ちっぱなしで、資料館から出たときには放心状態でした。
そのまま祈念館とか行ってしまったせいで、私のメンタル的なライフは一気に削られました。
そんな放心状態で、まだ高速バスまで時間あるなーと思い、ふらりと寄った歴史民族博物館。
私のそんな様子を見かねてか、奥の事務室でコーヒーとシュークリームをご馳走になりましたwww
たいへん美味しかったですwwwありがとうございましたwwwww
博物館後はひたすら歩いて長崎の街散策です。
とりわけ印象的だったのが、一本鳥居。
これも原爆の傷跡なのです。
この先に続く神社の二の鳥居です。一の鳥居は残っていません。
原爆により片方の柱が壊れ、たった一本残った鳥居なんです。
まあ安全面と保存を考えて、ちゃんと補強はしてあるんですけど。それにしてもすごい。
このほかにも、焦げ跡が残る神社の被爆大クスとか、被爆マリアのレプリカが見られる天主堂、
爆心地の碑が立つ公園とまわって、駅に戻ってきました。
爆心地の碑にはかなりお年を召された白人のおじいちゃん2人がいて、
もしかして・・・かつて太平洋戦争を経験された軍人さんなんじゃ・・・!とか勝手にはすはすしてました。
あ、この公園には原爆投下のときの地層が見られるコーナーがあって、
今の地面より2mぐらい下にガラス窓が設置され、埋まったままの茶碗や瓦を見ることができました。
今でもこの長崎には、それはそれはいろいろなものが埋まったままなのだと思うと鳥肌でした。
駅に戻って、高速バスターミナルからバスで3時間、福岡の小倉へ向かいます。
小倉からは電車で海底トンネルを抜け、いよいよ本州、山口は下関に到着です!
下関駅そばのホテルに到着したのが22時半。くたくた。足がとても痛いです。
ゆっくり夕食を食べようと、持参した長崎駅の駅弁を部屋で開いたところ、
箸がついてねぇ・・・!
フロントに取りに行くのも気が引けたので、仕方なく飲み物についていたストローでかっ込みましたwww
そんな3日目でした。
うおぉ写真貼るととにかく時間かかるな!この記事書くのにもう2時間以上経過したよ。
写真もちゃんと解像度・サイズダウンだけじゃなく、
必要に応じてシャープかけたりカラーバランスもコントラストも変えてるんですよ!
そのせいで写真がいろいろ違和感だなんて言わないで・・・
それでは。あと1時間半したらバスに乗り込んでいざ実家!
まあまだ荷物まとめすらしてないんで す け ど ね !
昨日突然「明日実家帰ろう」と思い立って、というかゼミや実験の予定が空くことが昨日決定したので、
実家にお土産を置きに行かなきゃとも思っていたので、うん、帰ります。
向こうには3日間くらいしかいないんですけどね。
またすぐゼミとか実験とかがあるので、さっさかアパートに戻ってきます。
というわけで、忘れないうちに旅行についてを更新しておきますー
<9月30日(金) 旅行3日目> 長崎観光するよ!
起床後、前日同様コンビニへ朝食を買いにしばしの散歩。
レジ担当していた店員さんが、私が出した1万円にお釣りを出そうとして、
最後の1枚の5000円札がちょっと汚れているのに気付き、1000円札9枚で返してくれました。
おお、汚れとか気付かなかったけど、ちゃんと気にしてくれる店員さんすげぇ!とか思ってました。
朝8時にチェックアウト。先輩はおそらくまだ熟睡中。さよなら先輩。
長崎駅から2駅先のフェリーターミナルへ向かいます。
フェリーに乗る?いいえ、違います。
目的地はそう・・・
パンフレット&チケット。
見捨てられた廃墟の島、 軍 艦 島 です!
いやー1度行ってみたかったんですよねー。
最近になって一部が整備されて上陸ができるようになったんですよ。
で、さっそく船に乗り込み、2階席で雨風と波しぶきをもろに浴びながら島を目指します。
ちょwww前日雨ひどかったけど今日もなかなか雨ひどいwww波高いwwwww
2階席にいた7割ぐらいの人が途中で室内の1階席に避難しました。
や、私はいつまでも雨と波しぶき浴びてましたけどねwwwびしょびしょwwwww
もうすぐ軍艦島が見えてきますよーという放送に目をキラキラさせていたら、
目の前にある、くじらみたいな形をした緑の茂る島(中ノ島というそうですが)の奥から、
暗くおどろおどろしい島が、静かに、そしてゆっくりと現れたんですよ!
この光景の衝撃は私のボキャ貧具合では表現しきれないんですけど、
それはもう、鳥肌立ちっぱなしなぐらい、恐ろしく、また感動的な瞬間だったんですよ。
で、いざ上陸ーとなったのですが、どうやら大潮のせいで潮位が高い。
波としてはそこまでじゃないのに、階段にまで波がかかっているらしく。
先に上陸した船員さんが、しばらく首ひねったり肩すくめたりして悩んでたんですが、
結局、安全を考慮ってことで、上陸は不可、周遊して帰りましょうとなりました。
うわああああああ悔しいあああああああ! ここまで来て上陸できないとかあああああ!
・・・まあ、上陸なんて1年のうち100日ぐらいしかできないって話なので、仕方ないのかもです。
というわけで、周遊中に撮影した軍艦島の様子です。
桟橋に近づくまでの軍艦島。これがどーんと現れたときの衝撃は異常。
高台にあるアパート。上の写真側から見て1番目立つ建物かも。
上のアパート近くにある小さな祠。木製の建物で残っている貴重なもの。
ここからが一番軍艦っぽいらしい。1番有名な角度。
アパート群。奥に祠が見えます。左端の緑の建物は病院です。
ここに人が住んでたんだよなぁ・・・と思うと、何ともいえない気持ちになります。
ここには載せてませんが、もっとさまざまな建物がこの島には残っています。
小中学校も、グラウンドも、プールも、映画館も、床屋、郵便局、炭鉱跡や管理施設もあります。
本当に最近までここで人が暮らしていたんだって思うと、すごいなぁと思います。
とある子に、軍艦島に行ったんだという話をしたら「そこって心霊スポットなんでしょ?」と言われました。
なんで廃墟ってだけで心霊スポットとか言われちゃうんだろう。
別にこの島の住民全員が突然壮絶な死を遂げて、誰も立ち入らない島になったとかじゃなく、
鉱山が閉鎖されるから、じゃあ本土に戻ろうかってなっただけじゃないですか。
うーん・・・みんなの認識って怖い。
この軍艦島で人が生活していたときの話とか聞くと面白いですよ。
かつて三種の神器と呼ばれた家電が日本で普及率20%とかのときに、この島では100%だったとか、
島には火葬できる施設が無かったから、近くの島の火葬施設まで運んで火葬してもらったとか、
病院には隔離病棟もあるけど、医療はかなり充実していたとか。
そんなわけでぐるりと島を巡ったあと、全員1階席へ移動させられ、
室内で軍艦島についてビデオ上映をしてましたが、私は酔うのでデッキにいました。
その時に少し話をしたおじいちゃん船員さん。
静岡の××から来たーって話をしたら、××で勢力を誇る某企業の貨物船に14年乗ってたと言われびっくり。
前○○に住んでたーとか言われたんですがもろ近所なんで す け ど !
前日に水戸出身の方に会ったり、なんていうか、世間って狭いですねー・・・
軍艦島周遊ツアーを終え、島のコンクリート片の入ったストラップ(笑)をもらい、
近くのショッピングモールのようなところで昼食をとりました。
2度目のトルコライスーと思ったので す が
商品名 「秋のトルコライス」
なんかトルコライス迷走してるうああああああ!!!!!
栗&山菜ごはんに、きのこの和風スパゲティ、極めつけはチキン南蛮って!
山菜ごはんにタルタルソースがかかって何とも微妙な味だったよ!
昼食後に歩いて出島へ。正直行く予定は無かったけど、先生が行ってこいとうるさいのd(ry
とりあえず、江戸時代のかつての街並みが再現されてて、テーマパークみたいになってました。
出土品とかが展示されてて面白かったです。様々な陶器類とかさびっさびの拳銃とかwww
修学旅行生が「昔のバドミントン」なるもので遊んでて楽しそうだったwww
出島を出たあとは路面電車で長崎原爆資料館へ行きました。
いたるところに千羽鶴があるし、入るといきなり投下時間で止まった、ぼろぼろの時計とかがあり、
何でガラスもせとものも溶けてるの!?瓦がぼこぼこになるってどういうこと!?
熱線で影が残ってる・・・ケロイドになった写真・・・ボロボロの服・・・
最初から最後まで鳥肌立ちっぱなしで、資料館から出たときには放心状態でした。
そのまま祈念館とか行ってしまったせいで、私のメンタル的なライフは一気に削られました。
そんな放心状態で、まだ高速バスまで時間あるなーと思い、ふらりと寄った歴史民族博物館。
私のそんな様子を見かねてか、奥の事務室でコーヒーとシュークリームをご馳走になりましたwww
たいへん美味しかったですwwwありがとうございましたwwwww
博物館後はひたすら歩いて長崎の街散策です。
とりわけ印象的だったのが、一本鳥居。
これも原爆の傷跡なのです。
この先に続く神社の二の鳥居です。一の鳥居は残っていません。
原爆により片方の柱が壊れ、たった一本残った鳥居なんです。
まあ安全面と保存を考えて、ちゃんと補強はしてあるんですけど。それにしてもすごい。
このほかにも、焦げ跡が残る神社の被爆大クスとか、被爆マリアのレプリカが見られる天主堂、
爆心地の碑が立つ公園とまわって、駅に戻ってきました。
爆心地の碑にはかなりお年を召された白人のおじいちゃん2人がいて、
もしかして・・・かつて太平洋戦争を経験された軍人さんなんじゃ・・・!とか勝手にはすはすしてました。
あ、この公園には原爆投下のときの地層が見られるコーナーがあって、
今の地面より2mぐらい下にガラス窓が設置され、埋まったままの茶碗や瓦を見ることができました。
今でもこの長崎には、それはそれはいろいろなものが埋まったままなのだと思うと鳥肌でした。
駅に戻って、高速バスターミナルからバスで3時間、福岡の小倉へ向かいます。
小倉からは電車で海底トンネルを抜け、いよいよ本州、山口は下関に到着です!
下関駅そばのホテルに到着したのが22時半。くたくた。足がとても痛いです。
ゆっくり夕食を食べようと、持参した長崎駅の駅弁を部屋で開いたところ、
箸がついてねぇ・・・!
フロントに取りに行くのも気が引けたので、仕方なく飲み物についていたストローでかっ込みましたwww
そんな3日目でした。
うおぉ写真貼るととにかく時間かかるな!この記事書くのにもう2時間以上経過したよ。
写真もちゃんと解像度・サイズダウンだけじゃなく、
必要に応じてシャープかけたりカラーバランスもコントラストも変えてるんですよ!
そのせいで写真がいろいろ違和感だなんて言わないで・・・
それでは。あと1時間半したらバスに乗り込んでいざ実家!
まあまだ荷物まとめすらしてないんで す け ど ね !
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